鍛冶仲間から鍛冶仲間の年寄職である
丸一屋右衛門(平田家)に出された願書は
印札(現在の登録商標のようなもの)に関する
ことが主なものです
それを紹介しようと思います
丸一屋右衛門(平田家)に出された願書は
印札(現在の登録商標のようなもの)に関する
ことが主なものです
それを紹介しようと思います
これは農具鍛冶職人の主が
亡くなった後の印札に関するものです
これは天明三年(1783年)十月に出されたものです
今回は現代語風に訳してみます
「願い奉る口上書」
私の親にあたる太郎兵衛は
岡崎村で鍛冶職を行っておりましたが
昨年の秋に亡くなったため
印札をお返し致しました
そういった事情がございましたが、この度
鍛冶職人としてうだつが上がらない私が
養子になり、先代の跡を継ぐことに相なりました
そのため、新しく印札を頂きたく
お願い申しあげる次第でございます
付きましては、鍛冶職組合の規定に
違反しないように約束致します
貸し印札や譲り印札を紛失したりという
失態も犯さないことを誓約申し上げます
もし誓約を破るようなことがありましたら
決まりのとうり、印札を取り上げ下さり
職分を差し止め頂いて結構です
その折には何の不服も申しません。 以上。
こちらは、鍵屋の弥助という22歳の弟子が
年季(弟子として奉公する期限)の明けないうちに
不埒を行い、親方から職止め処分に
された際の届け出です
時は文化二年(1805年)八月
「鍛冶職止めの事」
右、弥助と申す者、年季が明けない内に
不埒を行ったため、親方の仕平次が
意見をするも弥助は聞き入れず
不埒が重なったため、この度
仕平次より職止めの申し出がありました
致し方なく鍛冶仲間の皆さまへ
お頼り申し入れる次第でございます
以後、右の弥助がどこへ参りましても
弟子にしないようにお願い申し上げます
日雇、庭貸しなども御無用でございます。
年季(弟子として奉公する期限)の明けないうちに
不埒を行い、親方から職止め処分に
された際の届け出です
時は文化二年(1805年)八月
「鍛冶職止めの事」
右、弥助と申す者、年季が明けない内に
不埒を行ったため、親方の仕平次が
意見をするも弥助は聞き入れず
不埒が重なったため、この度
仕平次より職止めの申し出がありました
致し方なく鍛冶仲間の皆さまへ
お頼り申し入れる次第でございます
以後、右の弥助がどこへ参りましても
弟子にしないようにお願い申し上げます
日雇、庭貸しなども御無用でございます。
2 件のコメント:
先日行ったお客様のお話です・・・
崩し字の会に入っておられて、サラサラと書かれたのは良いのですが、達筆過ぎて、私には読めませんでした。
ご紹介の 平田家文書は原文では楷書だと思われます。
平仮名の箇所が無いので、書かれたのは、武士階級の方かと思われます。
そのお客様の神棚には男力の尊(天照皇大神がお隠れになられたとき岩戸を開けた人)の能面が祀られていました。
開運の神様とのことでした。
源 信正
平田家文書の原文は「その1」で写真を少し紹介したようなもので、
楷書とは言えないように思いますが、当時の一般的な文体です。
和漢混交文でも漢字を主に使っているのは
平田家文書のように(この場合は産業関係)形式的なものが多いようです。
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