明治36年(1903年)発行の「波紋集」
たいへん参考になります
もっと早く手に入れたかった・・
こちらは大正15年(昭和元年・1926年)発行の
日本刀に関する本
これは日本刀研磨と鑑定を専門とする
本阿弥光賀氏(水戸本阿弥家)が
日露戦争(明治37年~38年)時に東京日々新聞の記者として
従軍した折に、日本刀について講演したことを
陸軍砲兵曹長の渡邊仁氏が筆録
刀剣会幹事の村上勝也氏が補訂したもの
その中で、砥石に関する記述で
興味深いところがありました
この頁で述べられている「折杭」という荒砥
そして「白馬」、「縞柳」といった砥石名は今では聞かれません
果たしてどのようなものだったのでしょうか・・
2 件のコメント:
興味深いですね。常見寺もその頃にはもう無いという事なら常慶寺とは違うのでしょうか?
常慶寺砥は江戸時代の後期には掘り尽されたようですが、
正徳二年(1712年)頃に出版された「和漢三才図会」(当時の百科事典)では
「刀剣砥としては淡白色の三河(みかわ:愛知県)産の名倉砥を最上とし、
山城国嵯峨で産する内曇砥がこれに次ぎ、
越前(福井県)の常慶寺村産のものが又これに次ぐ。」
と説明されていますので、粒度は中砥の最終段階(#2000~3000)の感じですね・・
http://www.eonet.ne.jp/~kiyond/toisi-nakato.html
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