2010年4月3日土曜日

碧玉と九鬼水軍 その1

3月9日に紹介した、弥生時代中期とされる
兵庫県三田(さんだ)市 三輪・餅田遺跡から
新たに、碧玉(へきぎょく)加工に使われたと思われる
砥石などが発見されたということです


こちらは、前回、三輪・餅田遺跡で発見された
碧玉加工品の展示を見に行った際に
一緒に展示されていた出土品ですが
どれも遺跡のある三田市以外の所から
持ち込まれた石材だということです

チャートは三田市北隣の
ここ、丹波産のものだということです
この石は工房の近くを流れる篠山川でも
よく見られるものです


三輪・餅田遺跡の出土品が
展示してあった隣 には旧九鬼邸があり
ここも初めてだったので
見学させてもらったのですが
この後思わぬ展開がまっていたのです・・
入口の敷居をまたいで
きょろきょろと見まわしていたら
和服姿の見知らぬ女性が
この建物について説明を始めてくれて
中を案内して下さったのです
これには大変助かりました

歴史にもたいへん詳しいので
この施設の方ですか?と伺ったら
違うということでしたが
それ以上は追及せず
話に耳を傾けていました



これは床の間に飾られていたものですが
九鬼家は古来から優秀な水軍として
知られていたということです
これにはたいへん驚きました

和服の女性は九鬼家の由来も
教えてくれたのですが
それを聞いてびっくり仰天
目が点になってしまいました・・参照
しかし、このときには、九鬼(くき)家と
九鬼(くかみ)文書がつながっているということには
思いが至っていなかったのです

2010年3月29日月曜日

兵庫県三田市の手焙形土器

古代の製鉄その9で紹介した
手焙形土器が兵庫県三田(さんだ)市にある
三輪・宮ノ越遺跡から1998年に出土していたのです
これにも、またまた驚いてしまいました
それから、兵庫県から出土している手焙形土器の
ことが紹介されているサイトを紹介しておきます
これを見ると、ここ丹波篠山でも
3点出土していたのですね・・
灯台元暗し・・いやいや勉強不足でした

地図参照



参照地図に他に記している
三輪・餅田遺跡は、3月9日に紹介した
碧玉の加工品が見つかったところです

三輪神社については後日述べようと思っていますが
この神社を含め、三田市と九鬼家のつながりにも
驚くべきことが多々あるのです・・

2010年3月28日日曜日

古代シリアの子持壺

こちらのHP
日本の歴史について・その5
紹介した五個口の壺が
古代シリアでも
見つかっていたのです
これには驚きました

これがそうです
ハマ出土とされていて
時代は紀元前2世紀頃
巾約18cm、高さ約20cm

こちらは
紀元前5500年頃のもの
参照サイト
HPで述べているように
これと同様の壺が
古代南インドと
弥生時代の日本の遺跡でも
出土しているのです

これは南インドの
墓から出土したもので
楽器を模した
副葬品とされています
高さ約40cm

これはインドで今でも
使われている楽器
こちらの方が
古代シリアから
出土したものと
似ていますか・・

こちらは福岡県の
スダレ遺跡から
出土した弥生時代の壺
(高さ約40cm)
形状から子持ち壺と
呼ばれているものですが
用途は不明とされています
こちらは口は六個ですね
以上のことから
古代の製鉄その17
で述べたように
古代メソポタミアから
南に伝わっていったものに
五個口の壺も含まれていた
ということになります


これら二つは中国から出土しているもの
漢時代

そしてこちらは
12世紀ペルシャのもの

2010年3月16日火曜日

古代の製鉄 その17

チグリス・ユーフラテス川流域の古代メソポタミア地域とその周辺には、最古の鉄が発見されているヒッタイトをはじめ、青銅の発祥地とされるシュメール、また金属工芸に長けていたスキタイといった、人類史上重要な地が連なっています。
それらの文化・文明が世界各地に広まっていくのですが、それは、そのような技術をもった民族が移動していった証拠でもあるわけです。その際、その民族に伝わる民話も一緒に伝承されていったということになります。その流れは、メソポタミアから東に進む場合と南に進む場合があり、東に進めば陸のシルクロードとして西アジアから中国大陸を通り、日本の北海道、あるいは九州に及びます。南に進めば海のシルクロードとしてインド大陸から海路で東南アジアを経由し、一方は中国大陸、朝鮮半島を通過して九州北部に、一方は南西諸島から沖縄を通って九州南部に入るルートがあったようです。どちらにしても文化の吹き溜りとされる日本列島に流れ着くわけです。
一例をあげれば、旧約聖書に登場するソロモン王(古代イスラエル王・在位紀元前965年~926年)がタルシン船団を組んで東南アジアから中国大陸にまで勢力を伸ばしていたということは史実だったようで、その影響は日本にまで及んでいたのは確実のようです。途中、マレー半島にも植民地をつくりますが、その地に伝承されていた「ワニだまし」の民話が、出雲神話の「因幡の白兎」に変化して伝わっているということは、昭和の初めから歴史学者により指摘されていることです。その他、東南アジアから伝わったとされる説話には、浦島伝説、海幸・山幸伝説など多く存在します。
そして、当然のことながら羽衣伝説や七夕伝説もそうなのです。
そうした伝播には当然製鉄技術も含まれているわけで、鉄の原料となる鉄鉱石や砂鉄あるいは湖沼鉄を採集する方法も各地に適したものが考え出されていったことも想像できるわけです。
湖沼鉄についてはこれまで日本ではほとんど研究なされていませんでしたが、ここ数年、鉄に関する本などで紹介されるようになってきています(参照)。
また、実際に為された実験も公開されています(参照)。





2010年3月15日月曜日

古代の製鉄 その16

川崎真治氏は、ワカタケルのワカは古代日本語で白鳥、あるいは鶴の意味があるとしています。つまりワカタケルは、白鳥をトーテムとした民族の神に選ばれた王ということになります。川崎説によると、その鶴をトーテムとした民族の源流はメソポタミアにあるというのです。氏の著書の一つに「日本語の発祥地はメソポタミア」というのがありますが、その内容は、歴史言語学のルールに則って古代メソポタミアの言葉と日本語は繋がっているというものです。
以前、随想で大野晋(すすむ)氏の説を紹介したことがあります(参照)。そこで紹介した、弥生時代にインド南東部から日本列島に移住してきた民族がもたらした、タミル語の源流はメソポタミアにあるとも云えるわけです。
「古代の製鉄その12その13」で述べた羽衣伝説も日本各地にありますが、これも発祥地はメソポタミアとされています。もう一つ例を挙げれば、七夕伝説もそうなのです。これら民間伝承に関する研究としては、水野祐氏や君島久子氏の優れたものがありますが、それらに目を通してみても、世界各地に伝わる羽衣伝説は、メソポタミアを中心に波紋のように広がっているということを確認できるのです。