この銅鏡は和歌山県橋本市にある
隅田八幡宮に古くから伝えられてきたもので
現在では国宝に指定されています
この鏡は日本で作られたものですが
作られた経緯が銘文として鋳込まれています
一般的にはこのように読まれていますが
「八月日下大王」とする説もあります
考古学者の森浩一氏は
銅鏡などの銘文(金石文ともいう)では
減筆といって画数を減らすことがあるので
「日十」を「日下(くさか)」とする可能性はあるとし
古事記に登場する大日下王のこと
かもしれないとしています
日本書紀では大草香皇子となっていますが
母親は日向(ひむか・宮崎県)の髪長媛(かみながひめ)
というところが意味深であります
大草香皇子が住んでいた所は
河内(大阪)の日下(草香)でありますから
これまで述べてきたように
ニギハヤヒと関係しています
ニギハヤヒという名は世襲されて
代々付けられていた名で
元祖ニギハヤヒは日向に拠点を
持っていたという説も有力なのです
他の説としては佐賀県神埼郡
あるいは、鹿島曻説では大分県の宇佐地方としています