特注サイズ モダン・タイプの
ネックと横板を接合しました

こちらは19世紀ギター
ラプレヴォット・タイプの横板を
接着した状態 動画UP
弥生時代の始まりを紀元前1000年説を採ると、
この頃ニギハヤヒ族が日本にやってきた可能性が
あるような気がします。世界史ではこの頃バビロンの覇権が
イシンからアッシリアに移り、これに対抗してカルデア人
(アラビア海の海人)がイシンの王族を中国に亡命させ
萁子朝鮮をたてています。それに伴い近辺では様々な
軋轢があったことが想像されますが、当然その流れが
日本列島に及んだ可能性もあるものと思われます。
紀元前700年頃には九州の国東半島で製鉄遺跡が
発見されているので、これはニギハヤヒ族がやって来ている
可能性大です。そのおよそ600年後、紀元前100年頃に
銅鐸文化が始まったとされています。
北海道と沖縄を除き、全国的に分布している弥生時代の
遺跡の中で、銅鐸、銅剣、銅矛などを持った青銅器文化
というものは九州から近畿に集中しているのが特徴的です。
ですから弥生時代の始まりは製鉄技術を持ったニギハヤヒ族が
日本列島に入ってきたのを嚆矢とし、その後西日本に
青銅器文化を持った猿田彦族が入ってきたという
図式を描くことができそうです。
ついでに述べておきますと、天日槍は3世紀から4世紀にかけて
日本にやってきたものと思われます。このときには、朝鮮半島の
当時の最先端の鉄加工技術や、それまで日本にはなかった
高温で焼く須恵器を作る技術を持って来たとされています。
19世紀ギター ラプレヴォット・タイプの
ネックとヘッドの接着作業を

フィガロ・ギターフェスティバルが開催されます
二階の展示コーナーでは私も展示します
今回は三台展示の予定で、一台は19世紀ギター

音律はSuzuki音律
この機会にぜひ試奏してみてください
今日は特注サイズ モダン・タイプと
ラプレヴォット・タイプのネック加工を行いました
モダン・タイプのネックブロック溝切りの
動画をUPしました
昨日、猿田彦の死因について少し述べましたが、
お気付きの方もあったかもしれませんが、この話は
インドネシア近辺の説話なのです。それが古事記では、
猿田彦が伊勢(三重県)の阿邪訶(あざか)にいる時、
漁(いざり)をしていて比良夫(ひらぶ)貝に手を挟まれて
溺れ死んだとなっています。
この阿邪訶という地名は、現在の三重県阿坂(地図参照)と
するのが一般的のようですが、阿邪訶は地名ではなく、
沖縄で言うアザカイであるという説もあります。
アザカイとはシャコ貝のことで、ですから、インドネシア系の
「猿がシャコ貝に手を挟まれて死んだ」という説話が
沖縄経由で伊勢地方に伝わったとする方が理に適って
いるのではないでしょうか。比良夫貝についてはよく分かって
いないようですが、タイラギのことではないかという説もあります。
以上のような、南方系の説話が日本の神話になっている
ということは他にもあります。たとえば、マレー半島の
ワニだましの説話が日本書紀の因幡(いなば)
の白ウサギになっていたり、
他には卵生神話や蛇体神話もあります。
それから、日本各地に残る羽衣伝説の地の一つに、
滋賀県北部の余呉湖がありますが、この地は近年(昭和40年代)まで
焼畑農業が行われていたということです。ということは、
この地の羽衣伝説は南方から伝わってきた可能性があります。
このことは、滋賀県から銅鐸が多く出土していることと
何か繋がりがあるのではないでしょうか。
今日の篠山
工房からの眺め