下に紹介した地図の黒い点で示されているところは
古代の製鉄関連の遺跡です
時代は古墳時代から平安時代まで確認されているようです
鉄の原料は地元で採れる鉄鉱石を
使ったものとされています
遺跡は、滋賀県の中央部を占める
琵琶湖(
参照)の西側 に集中していますが
その地域は天日槍が通ったとされるルートと
合致しているのは興味深いところです
因みに、天日槍が渡来してきたとされる時期は
5世紀~6世紀前後という説が有力です
さてこちらの図は、弥生時代から
古墳時代にかけて使われていたとされる
手焙り形土器が出土している所ですが
琵琶湖の東側に集中しています
時代は上に紹介した製鉄関連の遺跡よりも
古いということになりますが
この違いは文化圏の違い
あるいは民族の勢力圏の違い
としか考えられないのです
(赤塚次郎氏による「東海系文化の拡散」より部分転載)
そう思いながら、たまたま目を通していた
「三国志がみた倭人たち」という本に
その文化圏の違いを
図示したものが載せられていたのです
これは青銅製の鏃(やじり)に
多くの穴が開けられた多孔銅鏃というものと
S字甕(かめ)A類と云われる土器の出土地が
示されている図です(●が土器の出土地)
こうして見ると、先に紹介した
手焙り形土器の出土地と
重なっていることが分かります