2011年5月20日金曜日

昔の電動研ぎ機で使われていた仕上砥


HPで紹介している、昔の電動研ぎ機で
使われていた仕上砥(参照)の
試し研ぎの動画が見たいというリクエストが
ありましたのでYou TubeにUPしました
以下その画像を紹介しておきます


これは最初に使っている青砥ですが
おそらく丹波亀岡産のものだと思うのですが
これまで数多くの青砥を使ったり
見たりしてきましたが
このようなものには初めてお目にかかりました
質感はベルギーあたりで産する中砥に
似ている感もあります

今でもDIYショップなどで売られているのを
目にしますが、小振りながら
たいへん優れているのです



やや硬めですが良く反応し
心地よく研ぐことができます
青砥は砥泥が邪魔になって
研ぎ難いものが多いのですが
これはまったく邪魔になりません
また、よく反応している割には
砥石の減りが少ないのには驚きます
これも青砥らしくありません 

 粗めの石質で、やや粒度にムラがありますが
鋼にはそれほど及んでいないので
ほとんど問題ありません





これは近所の人が、軒下にあったから
と持ってきてくれたものですが
これも不思議な砥石なのです・・
青砥だとは思うのですが
このような青砥も初めてお目にかかりました
丹波亀岡産のものには
このようなものは無いような気がします
たいへん硬く、面出しをするのに苦労しました


 ひじょうに硬い割には反応は良く
これも心地よく研ぐことができます

先の青砥よりは緻密に仕上がり
中砥の最終段階といった感じです






そして仕上研ぎにかかりますが
これは昔の職人さんによって
使い込まれたもので
厚みは1cmほどしかありません

ほど良い硬さで研ぎ心地は言うことなし
粗い研ぎ心地ですが、仕上がりは緻密で
中山産の優れた砥石を思わせるような仕上砥です 


あっという間に中砥の傷が消え
これで充分仕上がっています






さて、これが昔の電動研ぎ機に
使われていた仕上砥です

ひじょうに硬いにもかかわらず良く反応します
刃物への喰い付きが強烈なので
研ぎのストロークはごく短くし
引く際にも力を入れる割合を多くしています


ご覧のように地鉄(じがね)の肌が
くっきりと現れ、鋼(はがね)
ピカピカの鏡面に仕上がります
鉋身は三代目千代鶴・落合宇一作の
三水銘の寸八です
切れ味の素晴らしさと永切れには
他の追従を許さないものがあります


2011年5月15日日曜日

夜光貝でハスの花


製作中の特注トーレス・タイプの
ヘッドに入れる蓮の花が出来上がりました



耀貝は光の当たる角度により
様々に変化します


注文を頂いた方の意向で
大賀ハス(古代ハス)にしてほしい
ということでしたので
送られてきたデザインを元に
いろいろと思案しましたが
素材は夜光貝を使うことにしました

当初はアワビ貝を使うつもりでしたが
アワビ貝では花びら1枚でも
平面を取るのが困難なのです

夜光貝は、日本では古来から螺鈿の
素材として使われていましたし
何よりしっとりとした質感は
蓮の花に適していると思われるのです


このようにヘッドに埋め込みます



出来上がりました




2011年5月11日水曜日

思わぬ展開  天津神社

ここ篠山から三木市街に行く途中に、天津神社という
気になる神社があったので先月寄っていたのですが、その時の写真データをうっかり消去してしまったのです。ということなので神社の画像が紹介できませんが、ウキペディアで紹介されているので神社の様子はそちらでご覧いただくとして、その神社を調べていたら思わぬ方へ事が展開していっているのです。

この画像はさきに訪れた際に撮影し唯一残っていたものですが、昭和4年に奉納された神馬の銅像の台座に納められているもので、この神社の由来が陰刻されています。
創建年代は不詳とされていますが、祭神も記されていません。神社の案内版や由緒書きにも祭神が説明されていないので不審に思っていたのですが、ウキペディアでは五神挙げられています。
この出自を知りたいところですが、神社の名に天津・アマツという音が含まれているので、私は反射的に古事記に登場する鍛冶の神である天津麻羅・アマツマラを連想したのです。この神社がある三木市は刃物の産地として有名な所なので、鍛冶の神が祀られていても何ら不思議はないのですが、天津神社の祭神として紹介されている天穂日命(アメノホヒノミコト)と天津彦根命、そして天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)は、どの神も勾玉から生まれたことになっているのです。
何か引っかかりを感じますね・・
ウキペディアで天津神社の祭神とされているもう一神に熊野久須日命(クマノクスビノミコト)がありますが、熊野に関係のあるものはこの神社の社紋にあります。


この画像は昭和37年に改修される前の本殿様子ですが、三つ巴紋が確認できます。三つ巴紋といえば、
昨年4月にブログで紹介したことのある九鬼家の家紋でもあるのですが、その時に述べたように、九鬼家の本拠地は熊野にあるのです。
ところが、改修後の本殿には三つ巴紋は見られず、他の建物にも見られませんでした。
これにも何か引っかかりを感じます・・




2011年5月10日火曜日

沼田・虎砥と愛宕山仕上砥で東郷鋼鉋を研ぐ


先日UPした動画の画像を紹介しておきます
これはどこの産地のものか不明ですが
ひじょうに硬く、面直しをするのに一苦労しました
硬いにもかかわらずよく反応し
心地よく研ぐことができます
この面は板目ですが青砥のように
使う面を柾目にする、というような
気を使う必要はなさそうです
 
 そして、この面は柾目です
ジャリジャリとした研ぎ感ですが研ぎ傷は浅く
粒度は#1200といったところでしょうか
内田広顕著 「刃物に関する諸材料
で説明されている砥石のなかでは
山形県の前森砥が近い感じがします
「凝灰岩 緑色・塊状・緻密 中砥」と説明されています
あと緑色を呈している中砥としては
秋田県の金山石ですが、「岩脈を成す石英粗面岩 」
という説明には該当しない感じです

次に使っているのは京丹波・亀岡産の青砥です
亀岡には青砥の産地として
岡花・青野・宮川が連なっていますが
これは今では幻の砥石となってしまった岡花産のものです

以前の動画で、割れた青砥を接着して
使っているのを紹介したことがありますが(参照
先般、森砥石さんが工房に寄ってくれた際に
その青砥を見てもらったら「これは岡花産のもので
うちが昔掘っとったものでっせ」と言われたのです

こうこうこうで、と事情を説明したら
後日持ってきて下さったのがこの砥石なのです
青砥は、どの産地のものも
硬いものから柔らかいものまで様々ありますが
これはやや硬めで砥泥が邪魔にならず
しかも研ぎ易く、心地よく研ぐことができます
そして何よりも青砥によく見られる
粒度のムラがほとんどありません
これには大変助かります

ややピンボケですが
研ぎ傷の粒度は上の産地不明のものと
それほど変わらない感じですが
傷が深めなのか地鉄(じがね)がやや濃く見えます

そして次に使っているのは
これは沼田・虎砥です
一見、三河名倉に見えますが
縞の感じが違います






研ぎ上がりも優れた中山ものと同様に
粗めの研ぎ感の割には緻密に仕上がっています
細身ながら、たいへん優れた仕上砥です

さて、最後の仕上研ぎは
京都愛宕山産の仕上砥を使ってみました



硬めですがよく反応し
強い研磨力があります
サリサリとした研ぎ感は、中山産と言われても
違いが判らないほどです

2011年4月30日土曜日

能面と刀

世界文化社刊 梅若六郎著
「まことの花」から部分転載 

今日は久しぶりに篠山の能楽資料館に
足を運びました
2年ぶりになりますか・・
ここを訪れる度に、能が完成された
室町時代の能面のすばらしさに
感嘆させられるのです
それに鼓の蒔絵と衣装の絵柄の大胆さ・・

能楽資料館を後にして、次は篠山の刀工
藤井啓介氏の鍛刀場を訪れました
作品展示コーナーで目にした氏の作品は
室町時代の能面の緊張感に負けていない
存在感があり、氏の力量に
改めて感服してしまったのであります
最近の氏の地鉄(じがね)
よく詰んだ古刀期や新刀期の地鉄に
劣らぬものがありますが
刃文の匂い口(刃文の幅)の見所の多さも
見事だと思います

氏の作品は玄人好みといいますか
刀を見る目がある程度身に付いている人にしか
分かってもらえない部分が多いので
ある面、損をしているのかもしれませんが
氏はそれにもかかわらず
自分の目指す方向性にブレがないのが
すばらしいと思うのです
その頑な姿勢は室町時代の能面に
通ずるものでもあるとも感じさせられたのです