Boxハープの端材で
合掌のオブジェを作りました
今朝、近くの河原で竹の根っこを拾いました
龍に見えませんか・・
製作中の二台のギターのニス塗りを終えました
ニスを塗っている間、ネコは出入り禁止だったので
ご機嫌よろしくないようです・・
画像を紹介しておきます
研いでいる鉋身は古い新潟鉋
最初に使っているのは
これは粗砥と言ってもいいくらいです
次に使っているのも伊予砥ですが
これは細目の粒度です
このように優れた伊予砥は今では
めったにお目にかかれません
そして中研ぎの最終段階として
エビ印セラミック砥石の#3000を使いました
粒度が#2000以上の人造砥石は
研ぎにくいものが多いのですが
これは商品の宣伝コピーで謳ってあるように
「天然砥石の研ぎ味」を味わうことができます
研ぎ上がりは粒度の細かい人造砥独特の
ギラギラとしたもので個人的には
好きではありませんが、研磨力が強い
という長所を優先したいと思います
仕上研ぎの最初は岐阜県産の合砥です
この砥石は普段は中継ぎとして使っていますが
細かめの粒度ですので
人造砥の#3000の後に使うと
これだけで充分仕上がっています
参考のため京都梅ヶ畑・中山産のカラスで
最後の鏡面仕上げをしました
カラスの出ている仕上砥はザラツキ気味で
あまり好きではありませんが
このカラスはほとんど悪影響はなく
ほど良い研磨力を及ぼしています
今回製作する平家琵琶は
注文して下さった方から
実家に植えられていて
枯れてしまった
紅花梨(カリン)の木を
どこかに使ってほしいという
要望を受けていました
数本送ってもらったものは
太いものでも
7cmほどしかなく
材として使えるかどうか
心配でしたが
製材してみると内部は健全で
充分乾燥しているので
琵琶の鶴首(ネック)
として何とか使えそうです
ところが、紅花梨と
聞いていたのに
内部はカリン材とは思えず
どう見てもツゲ材です・・
何かの間違いではないかと
確認してみましたが
花梨に間違いはない
ということでした
花梨材だったらこのように
緻密な肌ではなく
導管がはっきりしていて
色ももっと濃いはず・・
結局、私の勉強不足
認識不足だったのですが
よくよく調べてみると
花梨にはバラ科のものと
マメ科のものがあり
全く違う種類の木だ
ということが分かったのです
送って頂いたものは
実をカリン酒などにする
今回平家琵琶の甲板(裏板)
として使う紅花梨材は
昨日紹介した「天皇系図の分析について-古代の東アジア-」の著者である藤井輝久氏は魚形、とくに双魚紋は神魚と定義し、「神魚=ニムナ=任那=みまな」としています。氏によると、魚紋は古代インド、ペルシャ、シュメールまで遡ることができ、海人(あま・海洋民系)に共通した独自なシンボルだということなのです。また、朝鮮半島では金官伽羅(伽耶)の時代に、初代王である金首露の妃(許黄玉)はインドから嫁いで来ているのだそうで、双魚紋を象徴としていたようなのです。インド・ドラヴィダ語のミ=神、マナ=魚で任那(ミマナ)は神魚の意味があるという説は説得力があります。このようなことから、藤井説では金官伽羅=任那(みまな)海洋民の神魚連合(ギルド)=伽耶ギルド連邦としています。そしてこの連邦は南倭でもあるのですが、南倭は鹿島曻説と同様に、朝鮮半島南部と九州北部をエリアにしているのです。そのことを裏付けるように、日本の古墳の出土物にも魚紋は見られ、例として継体天皇陵とされる今城塚古墳から出土している家形埴輪に刻まれているもの、熊本県の江田船山古墳出土の鉄刀の象嵌、藤ノ木古墳出土の金銅製沓(クツ)に付けられている「魚の飾り」が挙げられています。
今城塚古墳から出土している
家形埴輪とその軒部分に
描かれている鹿と魚
光明皇后の夫である聖武天皇の
遺品のなかの魚形の腰飾りと
光明皇后は鹿の胎内から生まれた
という伝説を思い出します・・
これはメソポタミアのものとされる
焼物の絵付け
魚と卍紋が見られます
そしてこれは5世紀頃のものと思われる
ここ丹波篠山に出雲神社があることについて調べていたら、魚の装飾紋についてちょっと分かったことがあるので、忘れないうちにそのことを述べておこうと思います。このことは昨年6月のブログでも少し述べましたが、正倉院に収蔵されている魚形の腰飾りは聖武天皇の遺品とされています。このことから、魚紋は新羅や百済系民族の象徴なのかと思っていたのですが、インドにもよく似た魚紋があるということに戸惑ってしまったのです。それで昨年6月のブログでは「朝鮮半島の新羅からやってきたとされる民族が、インドの習俗を持っているということになれば、話はややこしくなってきます。」と結んでいたのです。
今回、出雲神社についてもう少し詳しく調べたいと思い、古代の東アジアの情勢について書かれた本を数冊新たに手に入れたのですが、その内、薬師寺の仏像様式から、白村江の戦いの後、日本は完全に唐・新羅連合軍に占領されたとしか考えられないとする鈴木治氏の著書「白村江」からは多くの示唆を得ることができたのです。それから、故・鹿島曻氏と同業(弁護士)で、氏から鹿島古代史説の薫陶を得、さらにそれを進めた内容の藤井輝久氏の「天皇系図の分析について・古代の東アジア」からは多くの収穫があり、ありがたいことに、先に述べた魚紋についても多くの紙面が割かれていたのです。(魚の装飾紋及び双魚紋について その2はこちら)
薬師寺金堂に安置されている
薬師如来座像の足の裏(仏足)に見られる双魚紋