2012年1月16日月曜日

魚の装飾紋及び双魚紋について その2

昨日紹介した「天皇系図の分析について-古代の東アジア-」の著者である藤井輝久氏は魚形、とくに双魚紋は神魚と定義し、「神魚=ニムナ=任那=みまな」としています。氏によると、魚紋は古代インド、ペルシャ、シュメールまで遡ることができ、海人(あま・海洋民系)に共通した独自なシンボルだということなのです。また、朝鮮半島では金官伽羅(伽耶)の時代に、初代王である金首露の妃(許黄玉)はインドから嫁いで来ているのだそうで、双魚紋を象徴としていたようなのです。インド・ドラヴィダ語のミ=神、マナ=魚で任那(ミマナ)は神魚の意味があるという説は説得力があります。このようなことから、藤井説では金官伽羅=任那(みまな)海洋民の神魚連合(ギルド)=伽耶ギルド連邦としています。そしてこの連邦は南倭でもあるのですが、南倭は鹿島曻説と同様に、朝鮮半島南部と九州北部をエリアにしているのです。そのことを裏付けるように、日本の古墳の出土物にも魚紋は見られ、例として継体天皇陵とされる今城塚古墳から出土している家形埴輪に刻まれているもの、熊本県の江田船山古墳出土の鉄刀の象嵌、藤ノ木古墳出土の金銅製沓(クツ)に付けられている「魚の飾り」が挙げられています。





今城塚古墳から出土している
家形埴輪とその軒部分に
描かれている鹿と魚

鹿と魚といえば昨年6月のブログ紹介した
光明皇后の夫である聖武天皇の
遺品のなかの魚形の腰飾りと
光明皇后は鹿の胎内から生まれた
という伝説を思い出します・・


これはメソポタミアのものとされる
焼物の絵付け
魚と卍紋が見られます


スキタイの魚紋


そしてこれは5世紀頃のものと思われる
コプト裂(参照
これにも魚と卍紋が見られます

1 件のコメント:

楽器製作家 田中清人 さんのコメント...

魚をトーテムとする民族と亀をトーテムとする民族、それから鹿をトーテムとする民族、白鳥をトーテムとする民族、弥生時代から平安時代までの日本はこれらの各民族が重層的に影響を及ぼしているようです・・
奈良時代は新羅系民族に支配され、平安時代以降は百済系民族に支配されていたことは濃厚のようですが、それらがスキタイをルーツにする鹿やシュメールをルーツにする魚を共に受けて継いでいるのは経由地のインドと同様のようです。
これとは別に亀と白鳥が重なっているのですが、それが「鶴と亀がすべった」というカゴメ歌にあるのが象徴的であります・・