2011年5月31日火曜日

今昔物語より「鞍馬寺の毘沙門天」

今昔物語 巻17 

僧依毘沙門助令産金得便語(僧、毘沙門天びしゃもんてんの助けによりて金を産しめる便を得る語(物語))   

今は昔、比叡の山の☐に僧有けり、やむごとなき学生がくしょうにては有けれども、身貧きこと限りなし。墓々しき檀越なども持ざりければ、山には否(恐)なくて、後には京に下て、雲林寺と云ふ所になむ住ける。父母などもなかりければ、物云懸る人などもなくて、便よりなかりけるままに、其の事祈り申すとて、鞍馬にぞ年来仕りける。

而る間、九月の中の十日の程に、鞍馬に参にけり。返けるに出雲路の辺にて日暮にけり。幽かすかなる小法師一人をなむ具したるける。月いと明ければ、僧足早に忩いそぎて返りけるに、一條の北なる小路に懸る程に、年十六七歳ばかり有る童の、形ち美麗なるが月々し気なるが、白き衣を四度解无気しどけなげに中結たる、行き具したり。

僧、道行く童にこそは有らめ、共に法師ども具せずねば、恠しと思ふ程に、童近く歩び寄て僧に云く、「御房は何こへ御すぞと。」僧、「雲林院と申す所へ罷る也」と云へば、童、「我を具して御せ」と云へば、僧、「誰とも知り奉らで上の空には何かに。和君は亦何へ御ますぞ。師の許へ御ますか、父母の許へ御ますか。具して行けと有るは、喜しき事には侍れども、後の聞えなむ悪く侍りなむ」と云へば、童、「然思さむは理なれども、年未知て侍つる僧と中を違て、此の十日ばかり浮れ行き侍るを、祖にて有し人にも幼くて送れにしかば、いと借くなる人有らば、具して奉て、何ち也ともと思ふ也」と云へば、僧、「いと喜しき事にこそ侍なれ。後の聞え侍りとも、法師が咎には有まじかなり。然れども、法師が候ふ房には、賎あやしき小法師一人より外に人も候ず。

いと徒然にて侘しくこそは思さむずらめと云ひて、語ひ行くに、童の極て厳かりければ、僧心を移て、然れば只将行なむと思て、具して、雲林院の房に行ぬ。火なむど燃ともして見れば、此の童 色白く 顔福らかにて、愛敬付き 気高かき事限なし。
僧、此を見るに、極く喜しく思て、定て此れ下臈げろうの子などにては有じと見ゆれば、僧、童に「然ても父は誰とか聞えしど」な問ども、何かにも云ず。寝所など常よりは取☐て臥せつ。

僧は、傍に臥して物語などして寝たる程に、夜も明ぬれば、隣の房の僧共、此の童を見て☐て讃め合たり。僧は童を人にも見せずして思て、延にだに出さずして、いと珍らしく心の暇もなく思ふ程に、亦の日も暮ぬれば、僧近付て、今は馴々しき様に翔けるに、僧 恠しき事☐思けむ。僧 童に云ける様、「己おのれは此の世に生れて後、母の懐より外に女の秦(肌)觸る事なければ、委くは知ねども、恠く例の児共の辺に寄たるにも似ず。何にぞや、心解くる様に思え給ふぞとよ。若し女などにて御するか、然らば有のまゝに宣へ。今は此く見始め奉て後は、片時離れ奉べくも思えぬを、尚 恠く心得ず思ゆる事の侍つる也」と云へば、

童、打咲て「女にて侍らば、得意にも不☐しとや」☐(と)云へば、僧、「女にて御せむを具し奉て有らむは、人も何にかは申すらむと思て愼ましくこそは。亦三宝の思食さむ所も怖しくこそは」と云へば、童「三宝は其に心を発して犯し給ふ事ならばこそは有らめ。亦 人の見む所は童を具し給へるとこそは知らめ。若し女に侍りとも童と語ひ給ふらむ様に翔て御かし」と云て、いと可咲気に思たり。
僧、此れを開て女なりけりと思ふに、怖しく悔しき事限なし。然れども、此が身に染て思はしく、労たければ出し遣る事をば為さで、此く聞て後は、僧 外々☐て衣☐隔てゝ寝けれども、僧凡夫也ければ、遂に打解て馴れ陸(むつび)たる有様に成にけり。

其の後は、僧 極き童と云へども、此く思はしく労たきもなし。此れは然べき事なめりと思て過ける程に、隣の房の僧共などは、「微妙き若君を然ばかり貧しき程に、何にして儲たるにか有らむ」とぞ云ける。
而る程に此の童は心地例ず成て、物なんど食ず。僧 いと恠しく思ふ程に、童の云く、「我れは懐任しにけり。然☐(知)り給ひたれ」と。僧此を聞て、踈き顔して、「人には童と云てぞ月来☐有つるを、極めて侘しき事かな。然て子産む時は、何がせむと為る」と云へば、童、「只御せ。よも其に知せ奉らじ。然らむ時には只 音為ずせで御せ」と云へば、僧心苦く いと惜く思ひ乍ながら過る程に、既に月満ぬれば、童 心細気に思て、哀れなる事共を云て泣く事限なし。

僧も哀れに悲しく思ふ程に、童、「腹痛く成たり。子産べき心地す」と云へば、僧侘て騒げる。童、「此な騒ぎ給ずそ。只然べき壷屋に壷に畳を散て給へ」と云へば、僧、童の云ふまゝに、壷屋に畳を敷たれば、童其に居て暫許とばかり)有るに既に子を産つるなめり。衣を脱ぎ着て子を含み臥せたるに様にして、母は何ち行とも見えずで失にけり。僧いと恠く思て、寄て和ら衣を掻去て見れば、子はなくて、大きなる枕許ばかりなる石有り。僧怖しく気踈けうとく思ゆれども、明りに成して見れば其の石に黄なる光有り。吉々く見れば、金也けり。童は失にければ、其の後僧面影に立て、有つる有様恋しく悲しく思えけれども、偏ひとえに鞍馬の毘沙門の我れを助けむとて謀り給たる也けりと思て、其の後 其金を破つつ、売て仕けるに、実に万づ豊に成にけり。

然れば本は黄金と云けるに、其より後、子金とは云にや有らむ。此の事は弟子の法師の語り伝たる也けり。毘沙門天の霊験掲焉けちえん(著しい)なる事 此なむ有けろとなむ語り伝へたるとや。





2011年5月29日日曜日

思わぬ展開 世阿弥から鉱山

5月26日に奈良の東大寺と近辺の神社を紹介しましたが(参照)、氷室神社の拝殿が舞殿を兼ねているということで、私は世阿弥のことを連想したのです。ところが世阿弥のことは、5月11日に兵庫県三木市にある
天津神社のことを紹介した際にも、頭の片隅をよぎっていたのです。それははっきりとした記憶ではなく、
天津神社が鎮座する播州の古代のことを思っていて、ふと、そういえば世阿弥が書き著した「風姿花伝」に
播州のことが記されていたような気がするという、古い記憶がよみがえったのです。
その時は、それ以上の追及はしませんでしたが、26日に氷室神社で世阿弥のことを思ったので、家に戻って
さっそく風姿花伝をめくったのですが・・
ありました、ありました。
第四の神儀云の条(参照)で、「かの河勝、欽明・敏達・用明・崇峻・推古・上宮太子につかへたてまつる。この芸をば子孫に伝へて、化人跡を止めぬによりて、摂津国浪速の浦より、うつぼ船に乗りて、風にまかせて西海に出づ。播磨の国坂越の浦に着く」云々・・
「かの河勝」というのは神儀云の最初に記されている
秦河勝(はたのかわかつ)のことですが、ここで記されている河勝の出生や最期の様子は尋常ではありませんね。
このことにも興味があるのですが、ひとまず置いておき、話を進めようと思います。秦河勝の本拠地は京都の太秦(うずまさ)とされていますが、太秦の近くには松尾大社があり、そこは秦氏の信仰の対象でもありました。元々は岩座(いわくら)信仰だったことから、古代に近辺で金属精錬が行われていた可能性は大です。以前述べたことがあるように(参照)、秦氏は摂津国の多田鉱山近辺に移住しているとされているのです。

双竜透かしの古代中国貨幣
直径6.3cm

2011年5月27日金曜日

蓮の花と蓮根


製作中の特注ト-レス・タイプの
ヘッドには蓮の花をインレイしましたが



ブリッジは蓮根・レンコンをイメージして作りました



2011年5月26日木曜日

思わぬ展開 東大寺


24日、奈良国立博物館で開催されている
「誕生 中国文明」展に足を運びました
奈良はここから車で約2時間
数年ぶりに訪れました
博物館では然したる収穫はなかったのですが
天気もよかったので近辺を散策しました

東大寺も歩いてすぐなので
30数年ぶりに足を伸ばしました
ご覧のように龍のような雲が
出迎えてくれていました・・
前回訪れたときは昭和大修理の真っ最中で
殺伐とした雰囲気でしたが
今回訪れて、南大門や大仏殿の
スケールの大きさに改めて感動しました


大仏殿の連子格子から伺った大仏様


せっかくだから
東大寺の脇を固める神社にも
挨拶に伺いました
ここは手向山八幡宮


古代から天皇は宇佐八幡宮を
特別の存在としていたようですが
手向山八幡宮の由緒からもそのことが伺えます


この鳩の社紋は以前紹介したことがありますが
ここ丹波篠山にも同じ紋の神社があるのです


軒瓦は三つ巴紋ですね・・
前回紹介した、兵庫県三木市の天津神社
社紋も三つ巴でした


手向山神社の北隣には
上院の二月堂があります




ここの紋も三つ巴ですね・・


二月堂から望む大仏殿


ここは東大寺の南西
奈良国立博物館の北西隣りに
鎮座する氷室(ひむろ)神社



この神社は祭礼の際に舞楽祭が
奉納されるということで
このように拝殿は舞殿を兼ねています


ここも軒瓦は三つ巴です
赤い鳥居の神社ですからね・・


 さて、国立博物館での収穫の一つに
これがありました
巴紋が見られます
これは河南省鹿邑県から出土している
紀元前10世紀頃の玉器です
高さ約10cm

2011年5月20日金曜日

昔の電動研ぎ機で使われていた仕上砥


HPで紹介している、昔の電動研ぎ機で
使われていた仕上砥(参照)の
試し研ぎの動画が見たいというリクエストが
ありましたのでYou TubeにUPしました
以下その画像を紹介しておきます


これは最初に使っている青砥ですが
おそらく丹波亀岡産のものだと思うのですが
これまで数多くの青砥を使ったり
見たりしてきましたが
このようなものには初めてお目にかかりました
質感はベルギーあたりで産する中砥に
似ている感もあります

今でもDIYショップなどで売られているのを
目にしますが、小振りながら
たいへん優れているのです



やや硬めですが良く反応し
心地よく研ぐことができます
青砥は砥泥が邪魔になって
研ぎ難いものが多いのですが
これはまったく邪魔になりません
また、よく反応している割には
砥石の減りが少ないのには驚きます
これも青砥らしくありません 

 粗めの石質で、やや粒度にムラがありますが
鋼にはそれほど及んでいないので
ほとんど問題ありません





これは近所の人が、軒下にあったから
と持ってきてくれたものですが
これも不思議な砥石なのです・・
青砥だとは思うのですが
このような青砥も初めてお目にかかりました
丹波亀岡産のものには
このようなものは無いような気がします
たいへん硬く、面出しをするのに苦労しました


 ひじょうに硬い割には反応は良く
これも心地よく研ぐことができます

先の青砥よりは緻密に仕上がり
中砥の最終段階といった感じです






そして仕上研ぎにかかりますが
これは昔の職人さんによって
使い込まれたもので
厚みは1cmほどしかありません

ほど良い硬さで研ぎ心地は言うことなし
粗い研ぎ心地ですが、仕上がりは緻密で
中山産の優れた砥石を思わせるような仕上砥です 


あっという間に中砥の傷が消え
これで充分仕上がっています






さて、これが昔の電動研ぎ機に
使われていた仕上砥です

ひじょうに硬いにもかかわらず良く反応します
刃物への喰い付きが強烈なので
研ぎのストロークはごく短くし
引く際にも力を入れる割合を多くしています


ご覧のように地鉄(じがね)の肌が
くっきりと現れ、鋼(はがね)
ピカピカの鏡面に仕上がります
鉋身は三代目千代鶴・落合宇一作の
三水銘の寸八です
切れ味の素晴らしさと永切れには
他の追従を許さないものがあります