2012年1月15日日曜日

魚の装飾紋及び双魚紋について その1

ここ丹波篠山に出雲神社があることについて調べていたら、魚の装飾紋についてちょっと分かったことがあるので、忘れないうちにそのことを述べておこうと思います。このことは昨年6月のブログでも少し述べましたが、正倉院に収蔵されている魚形の腰飾りは聖武天皇の遺品とされています。このことから、魚紋は新羅や百済系民族の象徴なのかと思っていたのですが、インドにもよく似た魚紋があるということに戸惑ってしまったのです。それで昨年6月のブログでは「朝鮮半島の新羅からやってきたとされる民族が、インドの習俗を持っているということになれば、話はややこしくなってきます。」と結んでいたのです。
今回、出雲神社についてもう少し詳しく調べたいと思い、古代の東アジアの情勢について書かれた本を数冊新たに手に入れたのですが、その内、薬師寺の仏像様式から、白村江の戦いの後、日本は完全に唐・新羅連合軍に占領されたとしか考えられないとする鈴木治氏の著書「白村江」からは多くの示唆を得ることができたのです。それから、故・鹿島曻氏と同業(弁護士)で、氏から鹿島古代史説の薫陶を得、さらにそれを進めた内容の藤井輝久氏の「天皇系図の分析について・古代の東アジア」からは多くの収穫があり、ありがたいことに、先に述べた魚紋についても多くの紙面が割かれていたのです。(魚の装飾紋及び双魚紋について その2はこちら


薬師寺金堂に安置されている
薬師如来座像の足の裏(仏足)に見られる双魚紋

2012年1月13日金曜日

平家琵琶の甲板を刀匠作二種の鉋で削る


You TubeにUPした動画の画像を
紹介しておきます

右は現在人間国宝である天田昭次刀匠が
若い頃(昭和20年代)に打った鉋で
千代正銘の寸八です
鋼は安来鋼の青紙系と思われます
硬めで強靭な鋼で中研ぎにやや苦労します(参照
燕鋼のような研ぎ感でもあります
そして左は丹波篠山在住の藤井啓介刀匠により
打たれた玉鋼鉋寸八
こちらは鉋にしては異様に鋼が厚いのですが
研ぎ易く楽に研ぐことができます
それでいて刃先は強靭で驚くほど永切れします




動画を撮影した後の刃先の状態です
これくらいではどちらの鉋も
刃先はビクともしていません
このガンコな紅花梨材を削って
このように健全な刃先を保っている
というのは、通常の鉋ではあり得ません

平家琵琶の甲板(紅花梨材)を三種類の鉋で削る

製作中の平家琵琶の甲板(裏板)の
紅花梨を古い新潟鉋三種で削ってみました
動画UPしております
右から初代・初弘(炭素鋼)寸六
初代・金井(青紙鋼)、そして二代目・永弘(青紙鋼)
金井と永弘は寸八です






削った後の永弘鉋 




同じく金井鉋




そして初弘
刃先はどれも同様に摩耗していますが
永弘は切れ止んでいます

永弘も決して悪くはないのですが
こうして比べると初弘と金井には
劣っている感があります
それほど初弘と金井は優れていると言えます

平家琵琶用タモ材を二種の鉋で削る


前回、製材で紹介した平家琵琶の腹板(表板)に
使うタモ材の接着面を仕上げました
動画UPしました


右は初代・金井鉋寸八
左は二代目永弘鉋寸八
どちらも鋼は安来鋼青紙系です

切れ味は永弘の方に鋭さを感じます




こちらは二代目・永弘




そして初代・金井

2012年1月8日日曜日

篠山に出雲神社 その1

昨年12月24日に篠山の波賀野遺跡を紹介しましたが、この遺跡のすぐ近くに出雲神社があることも述べました。出雲神社の本社は島根県にある出雲大社ですが、出雲系の神社は関西には少なく、兵庫県でもこの篠山の他にほとんど見ることができません。
篠山の西隣に位置する京都府亀岡市には二社ありますが、篠山の出雲神社とどのような関係があるのか興味が湧くところであります。亀岡の出雲系神社は出雲大神宮出雲神社です地図参照)。出雲大神宮の社紋は亀甲紋で、出雲神社の方は左三つ巴紋となっています。
出雲系の神社は亀甲紋が一般的ですが、紹介されているサイトではこの神社の名前は明治になってから付けられ、社紋も確かではないと説明されています。同サイトで紹介されている社紋の亀甲紋に、亀甲の中に三つ巴が入ったものも見られるので、おそらくこれが本筋の社紋だったのかもしれません。因みに篠山の出雲神社の社紋は「二重亀甲に花角」紋です。