製作中の19世紀ギター
特注ラコートタイプ
サウンドホール縁飾り
響板と裏板
力木を接着したところ
そして横板を挽き出す
新たに手に入れた
古い会津刃物
重利と重明銘の鑿
重利銘の外丸ノミ
幅10mmの半丸
重利明の十能鑿風浅外丸ノミ
刃幅50mm
会津刃物の銘は二つの流派があり
重の字の切り方で区別されている
この二丁の鑿の銘の
重の字は下の部分が
里になっているので里重と呼ばれ
藤井重正系
参考までに、この重道鉋の
銘の重は文字どおり
中央の縦線が上から下まで通っているので
通し重と呼ばれ、若林重房系とされている
曜変天目茶碗に虹入り水晶
水晶の中の虹
茶碗は他のもの
翡翠二態
ラベンダー翡翠は回る
地味だが味わい深い
グリーン桜花アゲート
二個を合体
亀甲石と銅製亀
オレンジ色の斑入り
黒曜石
こちらはゴビアゲート
アズライト結晶とコラボ
派手な丸い石
地味な丸い石
サングラスのような模様の瑪瑙
製作中のポルトガルギター
フレット打ち込み完了

左は以前紹介した
縦挽き、横挽き可能な窓鋸
右は従来の縦挽き鋸
スプルース力木材で
挽き比べをやってみた
従来の縦挽き鋸
挽きは窓鋸に比べると
やや重いがその分速い
窓鋸は滑らかな挽きだが
やや時間がかかる
適材適所ということですね
先日大阪に行ったとき
四天王寺の上空に
龍のような雲
これは以前紹介した
工房上空の雲
大蛇と龍の戦い
倶利伽羅龍のようでもある
倶利伽羅図
刃物と砥石の専門店
販売されている
人造砥石(1000番)を入手
早速試し研ぎ
動画撮影後
荒研ぎからやってみました
これはシャプトン刃の黒幕
320番で研いだ状態
そして森平の火1000番
硬めなのでノミ研ぎに
向いているかもしれません
仕上げ研ぎは
動画と同じ新田産白巣板
粒度はやや荒め
このような特殊小刀研ぎにも
使えそうです
堅い黒檀材でも
このように繊細に
削ることができる
ガラスの勾玉を
持たせてみた
こちらは
紅山文化出土品のレプリカ
よくぞ作ってくれた
織田信長が京都の本能寺で
明智光秀によって
暗殺されたとされる本能寺の変
このことについては
様々な歴史家さんたちによって
書かれてきているのは
皆様ご承知のとおり
当時の明智光秀の行動から
主犯は光秀ではない
とか、信長の遺体は
見つかっていない、とか
いや、遺体は発見されていて
首塚まである、とか・・
ところが上の画像の本の中の
「不可思議な国ジャポネ」
(1984年出版) では
当時のイエズス会の資料が
紹介されているのです
著者はポルトガル
コインブラ大学の歴史学者
オラロ•ケント女史
その一つでは
「テンカとよばれていた日本の
ノブナガがキョウ(京都)で
爆死をとげた事に関しては・・云々」
とあります
そして、このことについては
何人(なんぴと)の口をも
封じねばならなぬ
とも書かれてあるのです
これは第一級の資料と
言えるのではないでしょうか
当時、本能寺のすぐ近くには
イエズス会の教会があったので
そこで爆発音を
聞いた人もいたことは
想像に難くありません
本能寺図(信長墳も見える)
本能寺は信長の時代には
信長によって要塞化され
洛中における武器・弾薬庫にも
なっていたのは周知の事実です
本能寺の近くにあったとされる
イエズス会の三階建て教会図
三階建てなので近くにある
本能寺が丸見えになるのは遺憾
庇を設置せよ、と信長側は
クレームを付けたようです
京都にも居たことのある
ポルトガル人宣教師フロイスは
著書「日本史」では
信長の死に関しては
「毛髪一本残すことなく
灰燼に帰した」と記しているが
爆死とは書かれてはいない
これは、先に紹介したように
「このことについては
何人(なんぴと)の口をも
封じねばならなぬ」
ということの影響と
捉えることもできます
浮世博史氏の著書
「さらにくつがえされた
戦国・安土桃山・江戸史」の一部
他の歴史家の著書では
本能寺が爆発炎上した、ということは
書かれていませんが
浮世博史は「本能寺は単に焼失
したのではなく
中にあった弾薬に引火して
爆発・炎上したと考えるのも
おもしろいかもしれません」
と控えめに書かれています
光秀については
本能寺襲撃のときには
京都鳥羽にいた
という資料(乙夜之書物)もあり
また、光秀が本能寺に姿を
現したのは変の後
午前9時頃だったと書かれた
資料(川角太閤記)もあるようです
ということは
主犯は光秀ではない
ということが濃厚となります
それが誰かということも
歴史家さんたちにより
様々に推測されています