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2024年1月26日金曜日

イギリスの19世紀ギター事情

 

イギリスの19世紀ギターに
関する本を入手
たいへん興味深い

これは20世紀の写真ですが
ギタリスト
ジュリアン・ブリームが
子供の頃は
19世紀ギターを弾いていた
この楽器はパノルモですが

パノルモ一ギターの
ラベルの考察もなされている

これは1829年製の
パノルモギターですが
ボディは大型で
現代のハウザー製作のものと
ほぼ同じ形をなしている
ハウザーは大型のトーレスを
参考に作っているとも
言われているので
トーレスもこのパノルモを
参考にした可能性がある
とも言える

これも大型のパノルモで
フレットの位置を変え
音律を変えることができる
エンハーモニックギター
このギターも当時
かなりの数が作られていたようだ

エンハーモニックギターの
設計図

こちらは当時のイギリスの製作家
Philip James Bone が
自ら製作したギターやマンドリンを
使った合奏団 Bone's バンド

この写真は、かのプラッテン夫人の
ギターのレッスン室を兼ねた書斎

当時のギター価格表

エドワード・ライトが考案した
ディタルハープも紹介されている

2024年1月15日月曜日

ビウエラこれから弦を張る そして和歌


 
特注のビウエラ Vihuela
これから弦を張る




宗達soutatsu下絵、光悦kouetsu筆による
鶴図下絵和歌から中納言家持
cyunagon-yakamochi(大伴家持)の歌
「かささぎの わたせるはしに
おく霜の しろきを見れば 夜ぞふけにける」

こちらは在原業平
ariwara-no-narihiraの歌
「つきやあらぬ はるやむかしの
春ならぬ 我身ひとつは もとのみにして」

2024年1月3日水曜日

神社探訪 熊按神社

近くにありながら
まだ訪れていない神社を探索
延喜式内社の熊按kumakura神社
説明板によると創建は1000年以上前
とされ、元々は熊野神社だったもの
と思われ、熊野の野の字の草書体が
按と間違われたらしい


が、くずし字辞典を見てみると
野と按は間違えようがないように
思われるのですが・・



社殿は江戸時代末に建てられたもので

彫り物はかの中井権次一統
一人である橘正次

手水舎の脇には句碑が置かれていた
「雲わきて 月けし覗く しぐれ哉」
でしょうか
誰の俳句だろう・・

2023年12月30日土曜日

小振りの刃物研ぎ そして太鼓を叩く天使

 

小振りの刃物研ぎ14丁


こちらは古いイタリアの土産物
太鼓を叩く天使

こういった絵も
15世紀に描かれている

日本で言えば
雲中供養菩薩のようなものか・・




謎解き鳥獣戯画なる本を買ってみた
新潮社のトンボの本は内容はいいのに
装丁が自分の趣味に合わないので
いつも買うかどうか迷う
今度のものもカバーが気に
入らないので外したが
トンボの本は中身の表紙も
殺風景なので・・自分で書いた

見返し部分

12世紀〜13世紀に描かれたとされる
鳥獣戯画は甲乙丙丁と四巻あり
甲巻きが有名だが
他の巻きもいろいろ興味深い
甲巻きと丙巻きに描かれている
カエルは作者が違うような気がする


乙巻きにはこのようなものも
描かれている


因みに、この猫は
レンブラントが描いたもの
餌の器には骨しか入ってないせいか
機嫌が悪そう・・

2023年12月18日月曜日

デコピン そして弥勒菩薩

 

京都にある広隆寺は
7世紀に聖徳太子のブレーンであった
秦河勝hata-no-kawakatsuが
建立したとされていて
これまでに2回焼失している、とされている
一説によると、元々の広隆寺は窓がなく
大きな入口が一つだけの構造で
中には景教の黒い十字架が
一つ置かれていたらしい
それを裏付けるように
広隆寺の弥勒菩薩像の右手の指の様子は
中国の敦煌で発見されている
景教の大司教画と同じで
またキリスト教のキリスト画にも
同様のものが見られる
聖徳太子と秦河勝は
キリスト教ネストリウス派ともされているが
それを裏付けることでもあるのか・・・
はたまたデコピンの元祖か

中国敦煌壁画 景教の大司教


大谷翔平くんの愛犬の名はデコピン


2023年12月16日土曜日

最速のカメ? そして白犬

 

ウサギもびっくり、最速のカメ!
亀をナメたらあかんぜよ・・亀山社中
スケボーに乗るカメ

十訓抄jikkinshoと宇治拾遺物語
そして古事談に登場する
御堂mido関白(或は御堂入道nyudo)
藤原道長が飼っていた白犬の
不思議な行動を陰陽師の
安倍晴明が解き明かす物語
清明の「犬はもとより小神通の物なり」
という説明が興味深い

宇治拾遺物語の記述


安倍晴明が懐紙を取り出して
鳥の形に折って投げ上げると
白鷺になって南に飛んでいった
件kudariの挿絵

古事談

2023年12月14日木曜日

有元利夫の銅版画 そして奴奈川姫


有元利夫のエッチング

同じ版で作られたもの
表現の違いが興味深い

これは九州の最北端に位置する福岡県の志賀島shika-no-shimaから江戸時代に発見されたとされる金印。「穴師兵主神anase-hyozu-no-kami の源流」という本に目を通していたら、万葉集の「ちはやぶる 金の埼を 過ぎぬとも 吾は忘れじ 志珂の皇神」という和歌が紹介されていた。
この金が金印のことだとしたら、話がややこしくなるが、万葉集が成立した8世紀頃に、すでに志賀島に金印が存在していたことが一般的に知られていたとも捉えることができるのでは・・


このことは翡翠hisuiで作られた勾玉magatamaにも言え、昭和の初め頃までは日本の古代遺跡から出土する翡翠は海外からもたらされたもので国産のものではないとされていました。
それが、万葉集にある歌「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」から翡翠は日本にも産するのではないかと推測され、新潟県の糸魚川で翡翠の原石が発見されたのです。
現在では兵庫県や長崎県からも産出することが分かっています。




奴奈川姫像
上に紹介した万葉歌の渟名河は
奴奈川とも書かれ
奴奈川姫は中国の神仙思想に
登場する西王母
と同一とする説もあります

wikipediaで紹介されている
西王母

銅鏡にも鋳込まれている