2010年1月26日火曜日

古代の製鉄 その13

前回、羽衣伝説と白鳥について述べましたが、この白鳥は「はくちょう」ではなく「しらとり」で、鳥の種類を云うのではなく、白い鳥全般を指しているものです。ですから、それはサギやツルでもあり、文字どうりハクチョウでもある得ることになります。真白ではありませんがコウノトリも含まれるかもしれません。
それを裏付けるように、例えば、製鉄技術に関した文献に「鉄山必要記事」というものがあるのですが、この中で金屋子神(かなやごのかみ)の由来が述べられています。そこでは、播磨国志相郡岩鍋(現在の宍粟市千種町岩野邊)にある桂(かつら)の木に、高天原(たかまがはら)より神が降り、人々が驚いて「如何なる神ぞ」と問うと、神託で、「我は是れ、作金者金屋子の神なり」と答え、その地に製鉄技術を伝えます。その後、「我は西の方を守る神なれば、むべ住むところあらん」と云って、白鷺に乗り西の国、 出雲国野義郡黒田の奥非田という所に移ったということが述べられています。ところが、地元千種の言い伝えでは、白鷺ではなく鶴に乗って去っていったとなっているのです。




2010年1月20日水曜日

サルノコシカケ ゲットその2

久しぶりに山歩きをしたら
倒れた松の木にサルノコシカケを発見
この時には、数本の松の大木が
倒れているのを見かけました
ここのところ、枯れた松の木が多く
見られるような気がします

これはクロマツの木に付いていたもの
木の直径は50cmほどあったので
サルノコシカケも 大きなものが付いていた
最大のもので直径25cm以上あります






こちらは桜の枝に付いていたもので
直径は10cmくらいの小さなもの
紅色が美しい

2010年1月14日木曜日

丸尾山砥石恐るべし その2


先般手に入れた丸尾山産八枚層の仕上げ砥石を様々試しているのですがその対応の広さと研磨力には驚くしかありません

これはハイス全鋼の鉋を研いだものです強靭なハイス全鋼でも反応がよくサクサクと力強く卸してくれるのです








2分ほど研いだ仕上がりの様子ですが
鋼の沸粒(にえつぶ)がクッキリと現れています
ということは、前段階の中砥但馬砥の傷が
ほとんど消えているということです
これには全く驚いてしまいます

2010年1月10日日曜日

日本にモアイ像?

知人が広島を旅行中に
目撃したという
岩でありますが・・

これはどう見ても
モアイ像ですな・・
瀬戸内海の島の一つ
だということですが
車で移動中に遠くの
ミカン畑で
目撃したということ

瀬戸内海の島には
巨石遺跡があるという
噂は聞いたことが
ありますが
まさかこんなものが
あるとは・・
これはいったい何なんだ・・

2010年1月4日月曜日

古代の製鉄 その12

兵庫県西脇市にある天目一神社近くを流れている加古川の10kmほど下流には、先日紹介した手焙り形土器が出土している加東市があります。また天目一神社の近辺には、鍛冶という名の付いた地名や、鉄を象徴する地名である黒田庄という所があります。それから、古代の製鉄遺跡がある場所の近くによく見られる牧野という地名もあるのです。その北隣の山南町には牧山という山と神社があり、近くには牧山川が流れています。因みに、他にマキノという地名は、滋賀県の琵琶湖西岸にもあり、その地には古代製鉄遺跡もあります(地図参照)。興味深いことは、参照地図に印している余呉湖がある伊香郡(いかぐん)には羽衣(はごろも)伝説があるのですが、江戸時代中頃の伴信友は著書・神名帳考証の「伊香具(いかこの)神社」の項で、当地に伝わる不思議な話を取り上げています。
そこでは、古老の云い伝えとして、余呉湖の南側の入江に白鳥に乗った女性が天から八人舞い降り、この様子を見ていた男が、白鳥の形が奇異だったので神人ではないかと思い、近くに行ってみると天女(てんにょ)であった。その男はひそかに白い犬をけしかけて一人の天女の衣を盗ませた・・云々。ということを記しているのです。
白鳥というのは日本の古代史にはよく登場し、兵庫県の播磨地方、優秀な鉄の産地として知られている千種(ちくさ)には、この地の製鉄技術は出雲(いずも)から白鳥に乗ってやってきた金屋子神によってもたらされたという言い伝えがあります。
古事記・日本書紀に記されている日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は草薙剣(クサナギノツルギ)を持っていましたが、この日本武尊が死後白鳥となって天に飛び去ったという記述は見逃せません。
こうしてみると、白鳥というのは産鉄民族の象徴であったかのようです・・


インドのインダス文明の遺跡から
発見された神官とされる像