2014年8月29日金曜日

ニス塗りと次の作業 walnut材を削る 

これは昨日の作業の様子
ニス塗り中・・
19世紀ギターLaprevotteラプレヴォット・タイプ






こちらは小型モダン・タイプ 弦長630mm




ラプレヴォット・タイプの裏板を削るための
やや大きめの四方反り鉋を入手しました
身幅42mm(炭素鋼)、押金が付いているので
深い逆目を削るのに重宝しそうです




しばらくこのまま使ってみて
調子が良さそうなら、刃口に金属を埋め込もうと思います


炭素鋼の影響か、切れは軽い
あとは永切れを期待したいところです






裏板の内側、接着面を仕上げているところ


このウォルナット材のような、粘りが強く
強烈な逆目が交じっているガンコな木でも
平気で削ってくれ、しかも永切れします
鋼は昔の東郷鋼と思われます




深い逆目も止まっています


2014年8月25日月曜日

端材のオブジェとEmilio Carrasco氏の版画


製作中の19世紀ギター
特注Laprevotteタイプ(弦長625mm・Suzuki音律)
のブリッジの端材で


オブジェを作ってみました







ブリッジ完成





これは20日に工房見学に来られた方が
お礼として送って下さった木版画
何が描かれているのかは分からないが
ほのぼのとしたいい雰囲気が伝わってくる


作者はメキシコの版画家
Emilio Carrascoエミリオ・カラスコ氏

2014年8月24日日曜日

工房の様子 小刀新調


10mm幅の小刀を新調(右端)
鋼はスウェーデン鋼、作者は伏せておきます
鋼に青いところがあるのは焼戻しを行ったため・・
手に入れた状態では切れが重く
とても使える状態ではありませんでした

特にこの作業、粘りの強いメープル材の
ネック・ヒール部分を0.5mmのメープル・ベニヤ
を巻いたネック部と同じ面になるまで削るには
切れが軽く、切れのコントロール性がよくなければ
仕事になりません


そういうことなので
最初は約180度で焼き戻してみましたが(参照
やや切れは軽くなったものの
左の2本と比べるとハッキリと分かるほどの違いがありました
そこで今度は約200度で焼戻し


それでも改善されなかったので
最後の手段としてガスコンロで焼戻しをしたのが
最初の画像の青い鋼部分です
この状態は300度ほどになったものと想像されます

これで何とか仕事で使えるようになりました


メープル材を削った後の状態(倍率は約180倍)
研ぎ上げた仕上砥はやや柔らかめの新田産巣板
刃角度は約28度

この鋼の状態は手に入れた状態から比べると
かなり鈍く(柔らかく)なっていると思いますが
こちらの方が切れは断然軽く、コントロール性も優れています
ですからある程度よく鍛えられた鋼でしたら
小刀の場合は焼き入れは甘い(鈍い)方が良いように思いますね
そういうことなので、やはり、徒然草にある
「よき細工は少し鈍き刀を使うといふ」というのは
こういうことを言っているのではないでしょうか


これは上の画像中央の小刀で
古い会津刃物の銑を切り分けて自作したもの(参照
研ぎ上げた仕上砥は福井県中井産若狭砥の硬口(参照
刃角度は約27度


そしてこれは上の画像左端の
15年ほど使っている刀匠作のもの
鋼は安来鋼・青紙
これは2週間ほど前に研ぎ上げたもので
仕上砥ぎに使った砥石を覚えていません
刃角度は約28度








縁飾り仕上がり 


デジタルマイクロスコープを新調


これまで使っていたデジタルマイクロスコープは
ピント合わせに苦労するので
思い切って買い換えました(参照
以前紹介した関東産と思われる青砥の




研ぎ傷を撮影してみました
以前のものと違ってピント合わせがかなり楽で
保存する前に画質の調整も出来るので
これはこれから重宝しそうです

倍率は180倍ということです




次に仕上砥ぎとして山口県産杭名砥で


中継ぎ研ぎをし



硬口の木津山産戸前で


最終仕上げをしました




その研ぎ傷の拡大画像です

これまでと違って刃先の状態が
緻密なところまで確認でき
研ぎ傷の状態も観察することができます

余談ですが、鉋の場合
このように刃と直角方向に研ぎ上げると永切れします
加えて仕上げ研ぎの最後に刃先を
ほんの少し蛤(はまぐり)刃にすることで
さらに永切れする刃先を得ることができます
私は片手で軽くやっています(動画参照下さい
この動画の6:03(6分3秒)くらいのところ

2014年8月22日金曜日

江戸時代初め頃の歴代天皇埋葬地 認識状況


以前紹介した楽只堂年録
興味深い記載がありました
最後の条に
吾国わがくに代々の諸陵、乱世を経て
其所も慥たしかに知る人なく成行き
土民、是を敬ふ(う)事をしらず
樵夫(木こり)・牧豎(ぼくじゅ:牧童)のために
踏けがされぬ(されている)といふ事を
吉保よしやす伝へ聞て、浅ましく悲しき事におもひ
上聞に達して(君主に伝えて)、修理を加へん事を勧め奉る
云々・・とあり
それを機に古墳の調査が行われたようです

吉保が京都の所司に厳命を下しているほどなので
調べる方としては期限中に何とかしなければ
ということもあったりして
無理にこじ付けた箇所もあったかもしれませんね
興味深いところです・・

ザッと目を通してみると、たとえば
崇神天皇は山ノ辺の道に葬る、とされていますが
これは苦しそうですね・・山ノ辺の道といっても長いので・・
崇神天皇は実在しないという説も有力なので
このあたりも興味が湧きます

それよりも何よりも、この天皇の順は
神武天皇が最初に書かれてあるので
二代目→三代目・・と順に書かれてあると思うのですが
この順がそもそも今とはかなり違いますね・・
これはいったいどういうことだろう・・
天智天皇の弟とされる天武天皇が先に書かれていたり・・

現在、仁徳天皇陵などこれまでの通説が覆っていますが
この、江戸時代初め頃に書かれた楽只堂年録の内容が
宮内庁や考古学者がどう思うのか知りたいところであります































2014年8月21日木曜日

ムカデに咬まれ記念

先月、家の者がムカデに咬まれた
人の不幸を喜んでいたら
二日前、こんどは自分が咬まれた・・因果応報・・
ということでムカデ咬まれ記念にムカデのブローチを買った







ムカデに咬まれたとき
猫はなんの役にも立たなかった・・
少しは反省しとるかな・・



ムカデ咬まれ記念のもう一つ
百足(むかで)再来記
題名だけで買ったのだが百足が登場しない・・
最初に百足山というのが書かれてあるだけ・・
くずし字辞典を片手に読み進めてみると
これはどうも幕末に近江(滋賀県)で起こった
一揆のことのようです・・参照下さい