ラベル 古代の製鉄 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 古代の製鉄 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年6月15日木曜日

中国出土のヤリガンナ

中国威海市で刃物鍛冶をやっていらっしゃる李小白さんが前漢時代(紀元前206年~紀元8年)の遺跡から出土したヤリガンナの資料画像を送って下さいました
ありがたい
中国前漢時代の南越王墓から
出土した鉄器類の実測図
反りの大きなヤリガンナ
(生反り小刀)も見られる

実物写真


解説

こちらは日本の鳥取県
青谷上寺地遺跡(紀元前後)から出土している鉄器類
時代は中国の
南越王墓遺跡とほぼ同じ




青谷上寺地遺跡から
出土している木工品
ヤリガンナ
(あるいは生反り小刀)が
なければ作れない形状と
言えます

現在、私が使っている
生反り小刀



製作中の五絃琵琶の
加工で使っている
小型ヤリガンナ





2022年6月10日金曜日

室町時代の茶屋 そして菅江真澄


この絵は室町時代の
茶屋の様子
七十一番職人歌合の絵
書かれている文字は
一ふく一せむ(一服一銭) 
こ葉(粉葉)の御茶をめし候へ

こちらは煎茶
おせむし物 おせむし物
せんし(煎じ)物うり(売り)

これは江戸時代中頃の
博物学者であり
旅行家でもある菅江真澄
Sugae Masumi の旅日記に
描かれている奥州南部の
鹿踊shishiodoriの様子
南部鉄で有名な鉄製品の産地に伝統的に鹿踊りが行われているのは、日本だけではなくインドにもあるのが興味深い
鹿の角を頭に載せて太鼓を叩きながら踊るという共通点も
見逃せない

ちょっと調べてみたら
岩手県では驚くほど多くの
鹿踊が行われている

インドのムリヤ・ゴンド族の
鹿踊り

2017年2月2日木曜日

三田市立図書館で古墳の出土物の展示


兵庫県三田市Sanda-cityにある市立図書館
市内の古墳から出土している
金属器の展示がなされています(2月5日まで)
三田市には600基ほどの古墳があるということで
今回の展示は6世紀頃の3ヶ所の古墳から出土した金属器が
保存処理を終えたのを機になされ
「よみがえるいにしえの副葬品」と題して公開されている
ここに紹介したのはその一部

これは冠などの装飾金具 

付けられている丸いものは
ガラスでしょうか・・


これは折れた直刀の元部分と鍔Tsuba



これは銀象嵌Zouganが施された刀装具


文様は隼人紋でしょうか・・参照 

これは鉄に鍍金Tokin(金メッキ)がなされたもの


鉄製の鏃Yajiri
惚れ惚れとする造形・・


左上は鉄釘らしい 

短めの直刀
茎Nakagoの穴も確認できる

馬具と鹿の角で刀装された刀子Tousu


大刀の飾り金具



2016年7月20日水曜日

高口定雄氏の興味深い説 その2

6月25日に紹介した高口定雄氏の興味深い説の追加分を紹介しておきます。
今回は猿田彦・サルタヒコと銅鐸、あるいは鉄の精錬、そして砥石産地との
関連性を地名とその土地から出土している考古学的資料を交えて考察がなされています。
これはこちらのブログ「猿田彦と滋賀県」のコメントとして頂いたものです。

篠山市付近の「猿田」「猿目」地名
篠山市の佐々婆神社と猿女が関係あるとの情報を得て、地名「猿田」「猿女」が、
篠山市付近に無いか調べてみました。
1.篠山市郡家小字猿目(さるめ)
2.篠山市乾新町小字猿目(さるめ)
3.丹波市山南町小畑家小字猿部谷(さるべたに)
4.丹波市山南町上滝小字サルべ

地名「猿田」について、福岡県、兵庫県、愛知県、奈良県
1.福岡県 6件 (1)糟屋郡須恵町須恵 猿田
 (2)糟屋郡須恵町上須恵 猿田
 (3)田川郡福智町赤池 猿田
 (4)宗像市吉留 猿田
 (5)福津市畦町 猿田
 (6)北九州市八幡西区藤田 猿田

2.兵庫県 6件 (1)加東市河高 サル田
 (2)加西市北条町西南 猿田
 (3)西脇市落方町 サル田
 (4)多可郡多可町八千代区俵田 猿田
 (5)豊岡市日高町知見 猿ヶ田
 (6)神崎郡福崎町高岡申田

各県の「猿田」地名件数
石川県  3件
埼玉県  1件 
茨城県 22件 
三重県  7件
高知県 10件
群馬県  3件
福岡県  6件
兵庫県  6件
愛知県 20件
奈良県  4件
千葉県 40件

周囲の地名に注意しながら調査していますが、特徴が二つあるように感じます。
 (1)付近に、「佐」「笹」などの地名が多い傾向にある。
 (2)黒部、船木、穴虫などの地名が付近に多い。
   ちなみに、遠く離れた関東の茨城県も調査中ですが、あります。
   特徴的に思うのが、舟木地名と同じ場所に「猿田」地名があることです。
   茨城県久慈郡大子町上金沢の地内に「猿田」「舟木ヶ沢」がある。
   茨城県久慈郡大子町浅川の地内に「猿田」「舟木ヶ沢」がある。
   大子町は、金や銅、粘板岩からとれる硯石の産地として地元では有名です。
   以上のことから、「猿田」地名は、「黒部」「船木」「穴虫」との相関性が強いと考えられます。
   このことは今後全国的に調査していく予定です。
   また、現状では「猿田」地名について、次のように考えています。
   現時点でのあくまでも仮説です。

猿田は、古語の「佐田」「砂田」が語源かもしれない。砂が得られる場所のようである。
たとえば、口語では、「さなた、さぬた、さのた」などのように、助詞の「な」「ぬ」「の」を
入れるのが普通であった。ところが、この「ナ行」を「ラ行」への口語変更が発生した。
「さぬた」「さるた」を発音してみるとわかるが、「さるた」のほうが、鼻音「な行」を
使用するよりも発音が楽である。

「ナ行」→「ラ行」への変音実例
1.古事記の越前国ツヌガ(都奴賀)は、倭名称では、ツルガ(敦賀)と書く
2.延喜式式内社の伊予国越智郡イガナシ(伊賀那志)神社の所在地を
   イガラシ(五十嵐)といっている。
3.美濃国山県郡ウヌマ(鵜沼)を、八雲御抄ではウルマ(宇留間)と書いている。

千葉県の「猿田」地名
千葉県には40件ありました。
それからやはり、「黒部」「船木」地名が近くに共出する傾向にありました。
関東には穴虫地名は見あたらないようです。また、古墳時代前期の遺跡も近くにあります。

例1 千葉県成田市船形小字「下猿田」「上猿田」
ここより約2km離れた成田市八代には、古墳時代前期の八代玉作遺跡」
ここより約2kmは、成田市玉造で地名「玉造」がある。
ここより約8kmは、成田市久米  久米は「くろべ→くろめ→くめ」と変化した地名

例2 千葉県長生郡長南町豊原小字「猿田」
豊原地内に油殿古墳1号墳 前方後円墳で4世紀末~5世紀初
豊原の隣の大字芝原(約2km)に能満寺古墳 前方後円墳 4世紀後半
豊原から約3kmは、千葉県茂原市上永吉小字「船木」

群馬県の「猿田」地名
<群馬県> 地名「猿田」3件
1.藤岡市上落合「猿田(さるだ)」 鏑川と鮎川の合流点
 1)地内に七興山古墳 前方後円墳 6世紀前半
  6世紀代では東日本最大級の古墳
 2)約2kmは、高崎市木部町
  木部は木之部と同じ: 兵庫県篠山市ほか
 3)約4kmの高崎市下佐野町には、古墳時代前期の
  玉作遺跡「下佐野遺跡」
  三波川変成帯の蛇紋岩による玉作

2.藤岡市白石「猿田(さるた)」
 1)前項の藤岡市上落合に隣接

3.吾妻郡吾妻町原町「猿田(さるだ)」 


高知県の調査結果
(1)安芸市土居小字「サルダ」
・土居地内に、小字「上玉造、下玉造」
・約4kmの安芸市伊尾木に、小字「砥石谷」があり、地内より銅鐸出土

(2)土佐市高岡町小字「猿田」
・地内に、小字「砥石ヶ谷」
・約7kmの高知市春野町森山に、小字「黒法師(くろぼうし)」
「くろぼうし」は「くろぼし」で、「くろぶし(黒伏)」からの変形地名と推測。
また「黒吹(くろぶき)」→「黒伏」→「くろぶし」と変化したと推定。

<注> 兵庫県朝来市生野町竹原野に小字「黒吹(くろぶき)」。
黒吹から約1kmは生野銀山。

(3)高岡郡日高村沖名小字「猿田」
前記2項の高岡町猿田から約6km離れた地域。川でいうと共に仁淀川右岸の地
・約3kmは、土佐市谷地小字「砥石谷」

(4)土佐市本村小字「猿田越(サルタゴエ)」
・地内に小字「宗像ノ平」
・約4kmは、土佐市北地小字「宗像(ムネカタ)」
・約4kmは、土佐市谷地小字「砥石谷」

(5)四万十市磯ノ川小字「猿田山」
・約5kmは、森沢鉱山(四万十市森沢、黄銅鉱)
・約5kmは、黒川恵美寿鉱山(宿毛市平田町黒川、黄銅鉱、黄鉄鉱)

(6)四万十市田野川小字「東サルタ」
・約6kmは、田ノ口鉱山(幡多郡黒潮町上田ノ口、黄銅鉱)
・約2kmは、四万十市藤小字「猪野々(いのの)」

<注>猪野々(いのの)
・兵庫県朝来市生野町「猪野々」から約2kmは、生野銀山
・京都府福知山市「猪野々」から約1kmは、梅谷鉱山(福知山市梅谷、銅、鉛、亜鉛)
・和歌山県御坊市北塩屋小字「猪野々」から約6kmは、
               和佐水銀鉱山(日高郡日高川町和佐)

(7)南国市下末松小字「猿田ノ北」
・約3kmの南国市大湧より銅鐸出土。また地内に小字「鳥取」
・約3kmの南国市田村より銅鐸出土
・約6kmの鏡香美市土佐山田町楠目より銅鐸出土

(8)高岡郡檮原町上組小字「申田(サルダ)」
・約2kmは、東向鉱山(高岡郡檮原町東向、自然金、黄銅鉱)

(9)幡多郡黒潮町田野浦小字「猿田」
・地内に小字「砥石ヶ本」
・約2kmは、田ノ口鉱山((幡多郡黒潮町上田ノ口、黄銅鉱)
・約5kmは、三の岡鉱山(四万十市古津賀、自然銅、黄銅鉱)
・約8kmは、幡多郡黒潮町蜷川小字「船木」

(10)幡多郡大月町添ノ川「小字「猿田」

トピックス
(1)石川県金沢市北塚町「猿田」
・約1kmに古墳時代初等の遺跡「古府クルビ遺跡」
「クルビ」地名は消失しているが、「くろべ(黒部)」の変形地名
・約2kmに弥生時代後期の下安原海岸遺跡(下安原町)。玉作遺跡出土。
・約3kmに弥生時代中期の寺中遺跡。玉作遺跡。
新潟県佐渡市の新穂型といってよい石鋸が出土。
なお、佐渡市に「黒目作」という地名がある。茨城県日立市にも「黒目作」地名があり、
砥石「助川青砥」産出地直近。黒目は「くろべ、くるべ(黒部)」から変化したもの。

(2)石川県松任市島田町「猿田」
約2kmは松任市長島町「クロビ田」。 「クロビ」は「くろべ(黒部)」に同じ。

(3)茨城県筑西市井上「申田(サルタ)」
・約5kmは4世紀前半の蘆間山古墳(徳持古墳とも、筑西市徳持)
・約8kmは、筑西市岡芹小字「黒部」

(4)三重県鈴鹿市山辺町「猿田」
・隣の上野町(約1km)より弥生時代の銅鐸片出土
・約3kmに弥生時代の玉作遺跡の茶山遺跡(鈴鹿市高岡町)
・約8kmに4世紀末の前方後円墳「野褒野(のぼの)王塚古墳」
・約10kmは、鈴鹿市辺法寺町小字「穴虫(あなむし)」

(5)三重県熊野市大泊には、小字「サルタ」「サダ」が共出。

(6)三重県には、地名「佐田」15件と多い。
・津市白山町佐田には、小字「舟木」
隣接する津市白山町上ノ村には小字「黒ン坊(くろんぼう)」があり、
黒部の変化地名

(7)「佐田」を古代には、連体助詞「な、ぬ、の」を追加し、「さぬた、さぬだ」
といっており、これが「さるた」に変化した可能性を想定しているが、
「さぬだ」地名が、三重県に1件存在していた。
三重県伊賀市下友田「佐奴田(さぬだ)」
付近の地名、遺跡は、
・伊賀市下友田「大黒(おおぐろ)」
伊賀市田中「黒口(くろぐち)」
・約4kmは、古墳時代前期の東山古墳(伊賀市円徳院)。伊賀地方最古。
・約7kmは、古墳時代前期の山神寄建神社古墳(伊賀市山神)
唐草文帯三神三獣の三角縁神獣鏡が出土。同笵鏡はないが、
同じ文様では奈良県の鏡作神社からも発見されており、
かつ鏡作神社直近に「黒部」「穴虫」地名がある。

「佐田」「大貞」なども調査の必要を感じていますが、まずは「猿田」優先で調査の予定。
なお、地名と遺跡の距離は、15km以内で調査しています。
奈良時代の駅家間平均距離が14.7kmとの報告があり、これを根拠に
同一居住圏の範囲は、15km以内と仮定したものです。

「完全踏査古代の道」 木下良監修、武部健一著  2004年10月1日発行 吉川弘文館


「笹場(ささば)」地名
前橋市小屋原町「笹場」
地内を広瀬川が流れるが、古くは広瀬川が、利根川の流路であった。
1)約3kmに前橋天神山古墳(前橋市広瀬町)4世紀前半の前方後円墳
 三角縁神獣鏡が出土し、同じ鋳型で鋳造された鏡として、
 奈良県櫻井市桜井茶臼山古墳、 奈良県天理市黒塚古墳の鏡がある
 参考: 奈良県桜井茶臼山古墳の近傍地名:黒目、穴蒸(あなむし)、木部(きべ)

2)約5kmの弥生時代後期の西太田遺跡(伊勢崎市安堀町)
 から、甕に入った砂鉄が出土
 甕の種類形式は、茨城県北部の十王台式土器(日立市含む)

3)約5kmは、前橋市上佐鳥町、下佐鳥町
 佐鳥(さどり)は、砂取(さとり)のことと思われる。

三重県津市の「しぶみ」という地名
<三重県津市渋見町(しぶみちょう)>
1.地内に「志夫美神社」 延喜式式内社の志夫彌神社  祭神志夫美神
2.渋見町地内に小字「赤目」「塩田」
3.約3kmは、津市安濃町清水小字「黒部」
4.約2kmの津市野田より銅鐸出土

三重県で、砥石と銅鐸が関係する事例
京都府京都市右京区梅ケ畑は仕上砥石産地でかつ銅鐸出土していますが、
これを含めて2例目です。

三重県津市白山町川口小字「砥石谷」
ただし本当に砥石が産出されたとの記録は未確認です。
川口から約4kmは、津市白山町藤小字「舟木」。
川口から約3kmは、津市白山町「北家城、南家城(いえき)」。
地名研究で有名な谷川健一は、その著「青銅の神の足跡」で、
家城=伊福(いふく、いふき、いおき)で、伊福は銅鐸鋳造に関わる集団だと述べています。

高知県安芸市伊尾木の小字地名「砥石谷」
伊尾木からは銅鐸が出土しています。
砥石を産出したとの記録は未確認。
銅鐸の時代に砥石が重要な資源のひとつとして認識され使用されていたことが、
3件のデーターで言えるかと思います。

和歌山県の地名事例。砥石との関係は未調査。
和歌山県御坊市塩屋町北塩屋小字「黒免(くろめ)」 
                   「くろめ」は「くろべ(黒部)」の変化地名
(1)約6kmに和佐水銀鉱山(日高郡日高川町和佐)
(2)約4kmは御坊市湯川町小松原で銅鐸出土
(3)約9kmは、日高郡日高川町蛇尾小字「船木谷」


ここからは私の補足として、兵庫県姫路市と和歌山県の例を紹介しておきます。
まず姫路市に砥堀という地名があり、そこから6kmほどのところに、銅鐸の
鋳型片が出土している今宿丁田遺跡名古山遺跡があります(地図参照下さい)。
名古山遺跡の鋳型片は砥石として再使用されていた形跡があるということです。

それから近年まで紀州砥という荒砥が採掘されていた和歌山県白浜近辺と
銅鐸が出土している3ヶ所の地(地図参照下さい)。

そして但馬砥の産地、兵庫県豊岡市日高町では多数の銅鐸の破片が発見された
久田谷遺跡があります(地図参照下さい)。

2016年7月12日火曜日

Ludwig Beck ルードウィヒ ベックの 「鉄の歴史」と湖沼鉄

今はもう絶版となっている
Ludwig Beck ルードウィヒ ベックの
「鉄の歴史」から湖沼鉄に関する記述を
紹介しておこうと思います

湖沼鉄は日本ではほとんど研究がなされていないようですが
古代の鉄に関して大きな示唆を与えているものと思われ
浅井壮一郎著「古代製鉄物語」や
蔵富春成著「古代水辺民の遺産」で
それぞれ言及されています
また、日本刀の研究においても
湖沼鉄が注目され始めているようです参照

日本刀の研究に関しては
俵國一による「日本刀の科学的研究」でも
当時(昭和20年代)、古墳から出土した直刀の分析結果から
多くのものに銅分が含まれているので
古墳時代の原料は鉄鉱石とするのが妥当としています
そのことに関しては、現在では
出土した古代の鉄に銅が含まれている場合は
中国大陸で磁鉄鉱を原料にして炒鋼法で造られたもので
チタン分が多い場合は砂鉄を原料に造られたものと
結論付けられているようです

湖沼鉄は日本では高師小僧とも呼ばれていて
製鉄に関する兵主(ひょうず)神から派生したとされる
ヒョウスベ(河童・カッパ)も湖沼鉄に
関係があるのではないか、という説もあります参照

また、それは鈴石と呼ばれたり
鳴石と呼ばれたりしていますが
これらはみな生物由来の褐鉄鉱で
湖沼鉄の一種と言ってもいいのかもしれません

出版社はたたら書房


以下、ベックの「鉄の歴史」1巻③から
湖沼鉄に関する記述です
画像を別タブ、あるいは別ウィンドウで開くと
大きな画像を見ることができます


ベックの「鉄の歴史」は1897年に刊行されたものですので
この分析データも当時のものと思われます

参考までに
これは明治43年(1910年)に刊行された
俵國一による著書「鉄と鋼  製造法及性質」ですが
以下、そのなかで紹介されている鉄原料の
分析データを紹介しておきます

赤鉄鉱の成分
表中の満俺はマンガンのことです

磁鉄鉱の成分

褐鉄鉱の成分

炭酸鉄鋼の成分

鉄滓及鉱滓の成分


以下、ベックの「鉄の歴史」に戻ります



以下はその他の記述から
興味深いものを少し紹介しておきます