旧ソ連の映画監督タルコフスキーは
日本文化にたいへん興味を持っていて、
日本語版「タルコフスキイの映画術」では
松尾芭蕉matsuo-bashoや
弟子の宝井其角takarai-kikakuの句を
紹介している。
ここで興味深いのは、タルコフスキーは
俳句のことを発句hokkuと紹介しているのだが、
結論を言うとタルコフスキーは正しい。
俳句という言葉は明治時代に
正岡子規が創り上げたもので、
芭蕉の時代には俳句という呼び方はなかった。
芭蕉自身は自分のことを
俳人と呼んでいたようだが、
俳句という概念はなく俳諧と呼ばれていた。
また当時は数人による連歌(連句)が主に行われ、
最初に誰かが発句として
「五・七・五」の歌を詠み、
続きとして他の者が「七・七」の脇句を詠む。
これが交互に繰り返され繋いでいくものだった。
それが芭蕉によって発句だけが独立して
詠まれるようになったようだ。
タルコフスキーは芭蕉の有名な句
「古池や蛙飛び込む水の音」を紹介していて、
タルコフスキーがロシア語で書いたものは
「Старый пруд.
Прыгнула в воду лягушка.
Всплеск в тишине.」
これを日本語版では
「古い池 蛙が水の中に飛び込んだ
静けさの中の音」
と訳されていて、興味深い。
タルコフスキーは日本の生け花ikebanaや
盆栽bonsaiにも興味を持っていて、
このタルコフスキー映画のサクリファイスにも
日本の盆栽を彷彿とさせる場面が登場する。
サクリファイスの一場面
木を植えているところ
その後、子供が水をやる場面
セットを作っているところ
枝ぶりを修正し別の枝を
付け加えているところ
左の人物がタルコフスキー
生け花の要領か・・
タルコフスキーが尊敬していた
レオナルド・ダ・ヴィンチの絵
同じくボスの絵
ゴッホも同様の絵を描いている
江戸時代に出版された塩尻百巻から
「忝ない(かたじけない)」について。
カタジケナシという言葉は本来は
「アリカタシオホケナシ」というそうで、
この言葉からアリとオホを略して
カタジケナシという、と説明されている。
知らなかった
カスタマーハラスメントを
カスハラと言うようなものか・・
以下、画像の文を読みやすいように
整理したもの。
「俗に物の有りかたく覚ゆる事を
「かたしけなし」といふ。忝(テン)の字
辱の字を用ゆ(中略)。
辱は耻(恥)也、悪也、汚也等。字註あれとも
物のありやすからぬをいふ事見えさるにや。
知る人考へよ。儀礼の集補に車ニシテ
送拝ムカヘテ辱其註カタジケナキシを考ふるに、
諸公賓と相為ナル時其国君来賓を郊労すとて
車に乗りて郊門迄出て、他國の君の自屈
辱して来るを謝すと見えたり。
是、其、辱むかふの人(はずかしむ向こうの人)
に有てこなたより謝するをいふ也。
今の人何事も自(オノズカラ)かたしけなく
存るなんといふはあたらさる歟(カ)。
但し人の労を謝するは意かなへり。
カタジケナシといふ言又解しかたし。
歸命本願抄要解に此和語の心は
「ありかたしおほけなし(ありがたい、
身の程を知らない)」といふ義なるへし。
アリとオホとを略してカタジケナシと
いふなるへしと云々。」
造物神お気に入りの模様か・・
同じようなパターンを
違った種類に使い回している
こちらはイチョウガイ
この部分は折り紙のように
折りたたまれている
まったく驚かされる
宝貝で作る亀のキット
かめたろー
貝殻をカットしてみた
ガチャポン巨大アリとコラボ
来週製作する特注19世紀ギター
ウィーンタイプの糸巻が
出来上がってきた
こちらはこれから製作する
ポルトガルギターの糸巻
以前紹介したショイヒツァーが
描いた古代イスラエルのダビデ王
ダビデが持っている楽器が
ショイヒツァー当時の
ゴシックハープなのがおもしろい
GoogleGemini先生が
描いくれた竪琴
ダビデは若い頃竪琴の名手でもあったが
投石も得意で、ペリシテ最強の戦士
ゴリアトを投石で倒し
その後、イスラエルの王となった
投石については
石で石
平安時代から使われていた
洗面道具(洗面器)
角盥 tsuno-tarai
木工旋盤にかけて加工中
外径は28cmほど
こちらにある木工旋盤は
直径30cmが限界なので
ギリギリの加工になる
市販の固定治具(コールジョー)では
直径が足りないので
コンパネで改造していく
これくらいの直径がほしい
ビスで固定
出来上がり
このようにセット
作業の合間に貝殻をカット
不思議な世界
左は巻貝の化石
これも不思議