2011年12月31日土曜日

2011年12月30日金曜日

伊予砥二種を使ってクロム鋼の鉋身を研ぐ



You Tube にUPした動画の画像を紹介しておきます

最初に使っているのは
新たに入手した伊予砥(中砥)
やや柔らかめで良く反応します
粒度は#600ほど





次に京丹波亀岡・岡花産青砥
これは今年の春、森砥石さんから
分けてもらったものです
これまで多くの青砥を使ってきましたが
これは最も優れていると感じます
粒度は#1000~1200ほど






次に目が締まっている(目〆)伊予砥で
青砥の傷を消していきます
粒度は#1500ほど






仕上研ぎの最初は京都新田産の巣板
良く反応し、刃物を選ばず使える優れものです






最後の鏡面仕上げは
京都梅ヶ畑中山産と思われる
たいへん優れた浅黄仕上砥です
この砥石は播州(兵庫県南部)
大工さんが長年使っていたもので
厚さ1cmほどまで減っています
この硬い砥石がここまで減るには数十年
代々使われてきたものと思われます


2011年12月28日水曜日

生反り小刀を研ぐ


生反り小刀研ぎの動画をUPしました
その画像を紹介しておきます

最初に使っている砥石は
産地不明の中砥(参照 最後に紹介している砥石





次に使っているのは中砥の
京都亀岡・岡花産青砥





次は仕上砥の
京都亀岡・丸尾山産天上巣板(内曇)






 最後は京都梅ヶ畑中世中山産の合砥








裏研ぎは京都梅ヶ畑・奥殿産白巣板

裏透きが不規則なのは
身の厚みを薄くしたので
裏をグラインダーで透き直したためです



この生反りは先端部の3分の2ほどしか
使わないので、それより元の部分は
研ぎ減って刃が付くまで放っておきます


平家納経

長寛二年(1164年)
平家一族により
広島の厳島神社に
奉納されたとされる
(厳島内侍による発願
という説もあり)
平家納経より抜粋


この画像は復刻品





















巻物33巻が収められた櫃


2011年12月26日月曜日

2011年12月24日土曜日

篠山 波賀野遺跡

兵庫県篠山市(ささやま市)
波賀野(はがの)
縄文時代と古墳時代の遺跡が
発見されました
参照

12月23日の現地説明会に
足を運びましたが
小雪のちらつく寒い日にも
かかわらず
多くの見学者が訪れていました

 南西側から眺めた遺跡の様子
古墳時代の遺跡の下に
縄文時代の遺跡が
重なっているということです

地元の人の話によると 
この辺り一帯の山は岩山で
向こうに見える山では昔
銀が採掘されていたそうです

上の写真から東側(右方向)に
移動した地点ですが
桜堤の川が見えます
ここは以前紹介した所
でもありますが
(ここの画像の9枚目と10枚目)
この川は武庫川に合流し
大阪湾に流れ込みます
地図の遺跡ポイントから
東側に流れている川です

ここから北に数キロ
離れたところを流れている
篠山川は西に流れ
山南町で加古川に合流して
南下し、播磨灘に流れ込みます
ここ篠山盆地は
標高が200m以上あり
分水嶺でもあります

地図の遺跡ポイントを拡大すると
南西側に出雲(いずも)神社が
確認できると思いますが
この写真の奥の小山が



こぢんまりとした社殿でした
篠山では出雲神社は
ここ1社だけだと思います

遺跡は地面からの湧水が多く
調査は苦労していると
説明されていましたが
近くに酒造元があるくらい
ですから、昔から地下水には
恵まれていたものと思われます

ここの縄文時代の遺跡では
住居跡と埋葬跡
それから生活跡である貯蔵穴
も確認されています
このようにムラ(村・邑)を
構成する三つの要素が
揃って発見されるということは
珍しく、兵庫県では
二例目だということです

これは子供を埋葬したと思われる土器の棺(ひつぎ)

縄文時代の特徴の一つとして
住居跡の近くに子供の墓がある
ということが指摘されていますが
この地でも同様のことが
確認できます
大人は集落から離れたところ
に埋葬されるそうです

9月に紹介した弥生時代の
方形周溝墓でした


縄文時代の土器と石器の一部を
紹介しておきます
私としては、碧玉(へきぎょく)片が気になるところで
以前、三田市から出土した碧玉を
紹介したことがありますが
参照
三輪餅田遺跡は
波賀野遺跡から南に
15kmほど離れたところに
あります(地図参照

時代は違っていますが
碧玉の移動ルートの手掛かりに
なるかもしれません・・

その後の調査
平安時代~室町時代の遺跡から
釘などの鉄製品やふいごの羽口
鉄滓(鍛冶に伴う不純物の塊)
が出土し、鍛冶工房があった
ことが分かったそうです