画家 梅原龍三郎の著書
「ルノワールの追憶」
昭和19年という
戦争大詰めのときに
このような本が出版されて
いたことに驚かされる
そのなかの一節
フランス留学中の梅原龍三郎が
ルノワールの写生に
付いて行ったときのこと
近くの食事処に肉を届けた
肉屋の配達人の子供が
梅原龍三郎と
すれ違ったときの一言
「きついジジィが溶けかかった
ボンボンの様な画を描いてい
居やがる」
これ以上ない率直さと
的を射た批評
ルノワールの風景画
梅原龍三郎の風景画
赤富士
明治時代初め
オーストリア・ハンガリー帝国の
貴族ハインリヒ・クーデンホーフ
伯爵の妻となった
クーデンホーフ光子
旧姓名 青山みつ
1874年〜1941年
について書かれてある
「グーデンホーフ光子伝」に
目を通していたら
興味深い記述があった
明治6年(1873年)に開催された
ウィーン万博での日本館では
庭園に神社も建てられた
そうだが、その工事の様子を
エリザベト皇后が女官を従えて
見学に訪れた際
大工が鉋がけをしているところに
興味を示し、長い鉋屑を
所望し持ち帰ったという
ウィーン万博の日本庭園の様子
2022年出版の本
日本の展示物
生糸、山繭生糸、織物類、
縫箔物、組物、漆器、磁器、
銅器、玉台、七宝、竹器、
藤細工、 象牙細工、鼈甲細工、
鯨骨細工、革、革細工、
水晶細工、瑪瑙緒〆類色々、
彫刻物、画、団扇、紙類、蠟、
鉱物、宝石化石類、動物、植物、
巨大物(金鯱、鎌倉大仏紙ノ張抜、東京谷中天王寺五重塔雛形、
大太鼓、大挑灯)」等
日本館の工事の様子が
上に紹介した
大工の鉋がけの様子は
画像が見当たりませんが
1876年の
フィラデルフィア万博の
日本庭園の様子には
大工の鉋がけの画像が
残されています