2012年1月30日月曜日
2012年1月29日日曜日
楽只堂年録から
徳川五代将軍・綱吉の
側(そば)用人として奉公し
大老まで出世した
柳沢吉保(参照)の公用日記「楽只堂(らくしどう)年録」から刀剣に関する記述を
少し紹介します。楽只堂年録は柳沢文庫所蔵のものを底本とし、
平成二十三年七月廿八日八木書店より翻刻出版されものです。
ここに紹介する日記はその第一巻から引用したもので貞享四年九月(1687年)から
元禄八年十二月(1695年)のものです。
文中の旧字は新字に書き換え、意味が掴みにくい箇所は適宜書き換え、場合によっては
ルビや解説を付けました。従って文責は編集した田中清人にあります。
貞享四年(1687年)九月九日 吉保三十歳
出生の男子(息子の安暉やすあき?安暉は吉里の幼名)、七夜の祝なり 中略
祝とて安忠(祖父)より兵部(安忠が安暉に付けた名)に熨斗
(のし・熨斗鮑のこと)をもとらせ、重代の仁王の刀と、安忠
大坂御陣の供奉せし時、指たりし(刀を腰に差すの意)正広の脇指を
与ふ。件(くだん)の刀は長さ二尺一寸、無銘にて矢折の傷あり。
元は信俊が鷹野脇指にて、吉保が誕生せし時も守刀にせり。
後、吉保が代に至て、本阿弥の何某に見せぬれば、
代金一枚五両といへる札を付けつ。正広の脇指は
長さ一尺四寸一分あり。
元禄元年(1688年)十一月十二日 吉保三十一歳
御前(将軍綱吉の御前)に召され、松平伊賀守忠徳(側用人)
喜多見若狭守重政(側用人)が列にて務むべきの仰を蒙り、
食禄一万石を加え賜り、青江次吉の刀を御手自ら下されて
拝領す。其刀、長さ二尺四寸一分、磨上にて銘なし、
代金十五枚の折紙あり。けふ(今日)南部遠江(とおとうみ)守政直も
御側衆より此役に仰付らるれども、席、吉保が下なるべき由
仰事也。同月十五日に、太刀目録にて御礼を申上る。
元禄四年(1691年)二月廿八日 吉保三十四歳
安暉(やすあき?吉保の息子)が袴着なり。刀を与へて祝ふ。
廿九日
黒田豊前守直重が使、新井三郎右衛門、山名信濃守泰豊が使、
有路外記、結納の品々を捧げ来る。
新井三郎右衛門・有路外記に刀一腰宛を与ふ。
結納の使帰りて後、豊前守直重・信濃守泰豊来り見(まみ)ゆ。
直重に引たる刀は、備前の重実、代金十五枚の折紙有。
脇指は三原、三枚五両の札あり。媒妁は中根平十郎正冬
山田十大夫重政なり。泰豊に引たる刀は、和泉守兼定が
作にて、代金三枚の札有。脇指は志津の作にて、
代金十五枚の折帋(紙)有。媒妁は詳ならず。
三月廿二日
今日天気よく、吉保が宅に初めて(将軍綱吉が)御成なり。
去比より宅の内に、新たに御殿の経営成就して、
頗る丁寧を尽せり。奥御殿の床に御筆の桜に子連馬の
掛物と立花二瓶、違棚に料紙箱を置く。紅葉の蒔絵なり。
狩野探雪が画る祝の壺といへる巻物、宇治にて茶を拵ゆる
体なり。是も棚に置て直に献上す。御刀掛は黒塗り蒔絵なり。
御講釈の間には、床に寿老人、左に松、右に竹、
何れも靏(ツル)を描ける、狩野洞雲が筆の三幅対を掛けたり。
下に砂の物、棚に見台あり。御装束の間の床には、是も洞雲が
描ける槇(まきの木)の山水の二幅対を掛く。中御殿は西王母、
左右共に龍なり。卓に香炉を乗せたり。
御刀掛は、梨地蒔絵なり。
(この後、柳沢吉保は御礼のため家族を伴って登城、その折の日記)
前略
母・妻・娘などの捧げ物、何れも進物番衆持ち出る。
終りて家臣(吉保の家臣)三人、一人一人太刀目録にて拝謁す。
披露はみな伊予守植昌なり。それより西の御成座鋪(ざしき)に
入らせらるる内に、献上物をば進物番衆引く。再び上段に
御出にて御雑煮・御吸物出る。
吉保御相伴にて御盃を下さる。御肴いただき、替への時、
御手自ら御指の御腰の物を頂戴す。帯して御礼を申し
御盃を御次に持出る。時に上意ありて、成貞(吉保の家臣の一人)
取りて台に乗せ、御前に捧ぐ。召上げ給ふ時、吉保、来国光の
刀を献ず。成貞持ち出で披露す。献上の茶壷は
真壺(まつぼ・呂宋(るそん)壺の中で文字・紋様のないもの)御小性衆両人にて
持ち出る。是も披露は成貞なり。
次に御盃を安暉(吉保の息子)に下さる。御肴を頂き、替への時、
御脇指を御手自ら安暉に下され、御盃を返し奉る。再び吉保に
下されて納めぬ。成貞ご挨拶をす。それより北の御成座敷の上
段に御着座なりて、吉保が産母并(ならび)に妻・二人の娘初て
御目見す。安暉が母は月の穢ゆえ御前に出ず。
俊親(安暉の母の弟)を召し、是も御自ら脇指を下さる。
江戸時代の貨幣価値についてはこちらを参照下さい。
柳沢吉保(参照)の公用日記「楽只堂(らくしどう)年録」から刀剣に関する記述を
少し紹介します。楽只堂年録は柳沢文庫所蔵のものを底本とし、
平成二十三年七月廿八日八木書店より翻刻出版されものです。
ここに紹介する日記はその第一巻から引用したもので貞享四年九月(1687年)から
元禄八年十二月(1695年)のものです。
文中の旧字は新字に書き換え、意味が掴みにくい箇所は適宜書き換え、場合によっては
ルビや解説を付けました。従って文責は編集した田中清人にあります。
貞享四年(1687年)九月九日 吉保三十歳
出生の男子(息子の安暉やすあき?安暉は吉里の幼名)、七夜の祝なり 中略
祝とて安忠(祖父)より兵部(安忠が安暉に付けた名)に熨斗
(のし・熨斗鮑のこと)をもとらせ、重代の仁王の刀と、安忠
大坂御陣の供奉せし時、指たりし(刀を腰に差すの意)正広の脇指を
与ふ。件(くだん)の刀は長さ二尺一寸、無銘にて矢折の傷あり。
元は信俊が鷹野脇指にて、吉保が誕生せし時も守刀にせり。
後、吉保が代に至て、本阿弥の何某に見せぬれば、
代金一枚五両といへる札を付けつ。正広の脇指は
長さ一尺四寸一分あり。
元禄元年(1688年)十一月十二日 吉保三十一歳
御前(将軍綱吉の御前)に召され、松平伊賀守忠徳(側用人)
喜多見若狭守重政(側用人)が列にて務むべきの仰を蒙り、
食禄一万石を加え賜り、青江次吉の刀を御手自ら下されて
拝領す。其刀、長さ二尺四寸一分、磨上にて銘なし、
代金十五枚の折紙あり。けふ(今日)南部遠江(とおとうみ)守政直も
御側衆より此役に仰付らるれども、席、吉保が下なるべき由
仰事也。同月十五日に、太刀目録にて御礼を申上る。
元禄四年(1691年)二月廿八日 吉保三十四歳
安暉(やすあき?吉保の息子)が袴着なり。刀を与へて祝ふ。
廿九日
黒田豊前守直重が使、新井三郎右衛門、山名信濃守泰豊が使、
有路外記、結納の品々を捧げ来る。
新井三郎右衛門・有路外記に刀一腰宛を与ふ。
結納の使帰りて後、豊前守直重・信濃守泰豊来り見(まみ)ゆ。
直重に引たる刀は、備前の重実、代金十五枚の折紙有。
脇指は三原、三枚五両の札あり。媒妁は中根平十郎正冬
山田十大夫重政なり。泰豊に引たる刀は、和泉守兼定が
作にて、代金三枚の札有。脇指は志津の作にて、
代金十五枚の折帋(紙)有。媒妁は詳ならず。
三月廿二日
今日天気よく、吉保が宅に初めて(将軍綱吉が)御成なり。
去比より宅の内に、新たに御殿の経営成就して、
頗る丁寧を尽せり。奥御殿の床に御筆の桜に子連馬の
掛物と立花二瓶、違棚に料紙箱を置く。紅葉の蒔絵なり。
狩野探雪が画る祝の壺といへる巻物、宇治にて茶を拵ゆる
体なり。是も棚に置て直に献上す。御刀掛は黒塗り蒔絵なり。
御講釈の間には、床に寿老人、左に松、右に竹、
何れも靏(ツル)を描ける、狩野洞雲が筆の三幅対を掛けたり。
下に砂の物、棚に見台あり。御装束の間の床には、是も洞雲が
描ける槇(まきの木)の山水の二幅対を掛く。中御殿は西王母、
左右共に龍なり。卓に香炉を乗せたり。
御刀掛は、梨地蒔絵なり。
(この後、柳沢吉保は御礼のため家族を伴って登城、その折の日記)
前略
母・妻・娘などの捧げ物、何れも進物番衆持ち出る。
終りて家臣(吉保の家臣)三人、一人一人太刀目録にて拝謁す。
披露はみな伊予守植昌なり。それより西の御成座鋪(ざしき)に
入らせらるる内に、献上物をば進物番衆引く。再び上段に
御出にて御雑煮・御吸物出る。
吉保御相伴にて御盃を下さる。御肴いただき、替への時、
御手自ら御指の御腰の物を頂戴す。帯して御礼を申し
御盃を御次に持出る。時に上意ありて、成貞(吉保の家臣の一人)
取りて台に乗せ、御前に捧ぐ。召上げ給ふ時、吉保、来国光の
刀を献ず。成貞持ち出で披露す。献上の茶壷は
真壺(まつぼ・呂宋(るそん)壺の中で文字・紋様のないもの)御小性衆両人にて
持ち出る。是も披露は成貞なり。
次に御盃を安暉(吉保の息子)に下さる。御肴を頂き、替への時、
御脇指を御手自ら安暉に下され、御盃を返し奉る。再び吉保に
下されて納めぬ。成貞ご挨拶をす。それより北の御成座敷の上
段に御着座なりて、吉保が産母并(ならび)に妻・二人の娘初て
御目見す。安暉が母は月の穢ゆえ御前に出ず。
俊親(安暉の母の弟)を召し、是も御自ら脇指を下さる。
江戸時代の貨幣価値についてはこちらを参照下さい。
2012年1月28日土曜日
2012年1月26日木曜日
会津砥・青と裏大突内曇砥で二種類の鉋を研ぐ
YouTube にUPした動画の
画像を紹介しておきます
最初に使っている荒めの
伊予砥(愛媛県産)
こちらは粉末ハイス鋼の寸六(動画)
同じ砥石で研いだ
玉鋼の古い鉋(動画)
(おどり砥:岐阜県産)
そして青い会津砥
(福島県産)
この砥石は今では
ほとんどお目にかかることができなくなりました
ここ数年、少しずつ
掘られていた
ということですが
昨年の大震災で
掘ることが
出来なくなってしまった
そうです
参考までに、この鉋身は
粉末ハイス鋼の寸八ですが
刃先角度を修正中で
研ぎ面は3mmほどしかなく
ほとんど鋼だけを研いでいる状態です
このような研ぎの場合
中研ぎの人造砥は
反応が悪く
目起こしをしても
なかなか研げないのですが
この会津砥でしたら
目起こしをすれば
よく反応するのです
これは以前紹介した但馬砥もそうでした
このように、人造砥は
研磨力はあるのですが
場合によっては
天然中砥の方が
優れていることがあるのです
仕上研ぎの最初の段階
中継ぎとして
京都・裏大突産の
全面にカラスが入った
内曇砥を使いました
文字どおり
カラスのような模様が
入っているので
このように呼ばれていますが
このような砥石は
仕上砥石層の各層の
境目に出るということです
カラスが入っていると
研磨力はあるのですが
砥当たりにザラザラ
したものがあり
私は個人的には
好きではありません
因みに、通称
幽霊カラスのように
カラスの輪郭が
ぼやけているものには
このようなことはありません
動画で使っているものは
部分的に巣の嚢のようなものが地鉄(じがね)に当たるので
それを避けながら研ぎました
そこのところが動画でも
お分り頂けると思います
次に産地不明の仕上砥ですが
この砥石は
硬いにもかかわらず
よく反応し
たいへん研ぎ易い砥石です
鏡面に仕上がる
最終仕上げ砥石です
この砥石は、地鉄との相性が
悪いと地を引くのですが
この二種の鉋身もやや地鉄を引いています
こうして研ぎ上げた
粉末ハイス鉋・寸六で
ローズウッドの薄板を
削ってみました(動画)
刃角度は27度ほどで
堅木を削るにはやや
低いのですが
ローズウッドでしたら
大丈夫です
厚みを減らすための
削りですから
刃を多めに出していますが
ほぼ逆目も止まっています
これくらいの削りでは刃先は
ほとんど変化はありません
2012年1月25日水曜日
2012年1月24日火曜日
沼田・虎砥と敷白仕上砥で藤井鉋を研ぐ
砥石が縁で知り合った方から
沼田・虎砥を借りることができました
それを使って藤井刀匠に打ってもらった
玉鋼寸八鉋を研いでみました
You Tubeに動画をUP
最初に使っているのは会津白砥(福島県産)
この砥石はよく反応するのですが
藤井鉋とはあまり相性がよくありません
粒度は#1000といったところですか・・
次に使ったのが
今回借りている沼田・虎砥(群馬県産)
沼田砥には灰褐色の瓢箪沼田砥と
このように縞のある虎砥があります
緻密な石質で、目起こしをした方が
より良い効果を得ることができそうです
粒度は#1500~#2000といった感じです
これから仕上研ぎですが
中継ぎとして、京都亀岡・丸尾山産の
内曇砥(天上巣板)を使いました
この砥石もよく反応するものですが
藤井鉋とはあまり相性がよくありません
次に京都産の敷白仕上砥を使いました
この砥石は通常の京都産の仕上砥のように
側が層になっておらず
一見、三河細名倉のように見えます
白い部分と褐色の縞の部分は
硬さが違うように見えますが
ほとんど同じ研ぎ感で
研ぎ上がりも違いはありません
砥面の水の吸い方に独特のものがあります
ザクザクとした研ぎ感の割には
鋼は緻密に仕上がっています
上の敷白の研ぎ上がり状態で
充分仕上がっていますが
参考のために中世中山仕上砥で
最後の鏡面仕上げをしました
この仕上砥はひじょうに硬いにも
かかわらず、良く反応し
心地よく研ぐことができます
今回使った沼田・虎砥は
貸して下さった方の御好意で
資料として切り取ってもよい
ということだったのですが
以前から手許にあった産地不明の砥石が
この虎砥にそっくり
ということが分かったのです
こいったことは写真だけでは分からず
実物を手にとって眺め
水に濡らした状態で質感を吟味するなどして
ようやく分かるものだということを
再認識させられたのです
2012年1月20日金曜日
合掌のオブジェ
Boxハープの端材で
合掌のオブジェを作りました
今朝、近くの河原で竹の根っこを拾いました
龍に見えませんか・・
製作中の二台のギターのニス塗りを終えました
ニスを塗っている間、ネコは出入り禁止だったので
ご機嫌よろしくないようです・・
伊予砥とエビ印セラミック砥石で永弘鉋を研ぐ
You TubeにUPした研ぎ動画の
画像を紹介しておきます
研いでいる鉋身は古い新潟鉋
二代目・永弘寸八です
最初に使っているのは
荒目の伊予砥(中砥)
これは粗砥と言ってもいいくらいです
次に使っているのも伊予砥ですが
これは細目の粒度です
このように優れた伊予砥は今では
めったにお目にかかれません
そして中研ぎの最終段階として
エビ印セラミック砥石の#3000を使いました
粒度が#2000以上の人造砥石は
研ぎにくいものが多いのですが
これは商品の宣伝コピーで謳ってあるように
「天然砥石の研ぎ味」を味わうことができます
研ぎ上がりは粒度の細かい人造砥独特の
ギラギラとしたもので個人的には
好きではありませんが、研磨力が強い
という長所を優先したいと思います
仕上研ぎの最初は岐阜県産の合砥です
この砥石は普段は中継ぎとして使っていますが
細かめの粒度ですので
人造砥の#3000の後に使うと
これだけで充分仕上がっています
参考のため京都梅ヶ畑・中山産のカラスで
最後の鏡面仕上げをしました
カラスの出ている仕上砥はザラツキ気味で
あまり好きではありませんが
このカラスはほとんど悪影響はなく
ほど良い研磨力を及ぼしています
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