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2025年4月28日月曜日

平家とペルシャ そしてゴジラ

平家物語の平氏は謎の民と
されているが
ペルシャ系だったのではないか
という説もある
平清盛の全盛期、安芸守akinokamiになって後
厳島神社の改修などを
行っていて、後に平家納経を
納めたりもしている
その厳島神社の狛犬や収蔵物には
西アジア、シュメールの影響が
濃いものが見られるので
平家はペルシャ系人種だった
可能性はあるように思う

厳島神社収蔵の狛犬


シュメールのスメラ山脈出土の
獅子

イラン(古代シュメール)
ハルマル出土の獅子
獅子と狛犬について述べた頁

厳島神社収蔵の打楽器
右は奚婁(けいろう)
左は振鼓(ふりつづみ)で
デンデン太鼓のようなもの


おなじみのゴジラ

背中に水晶を付けてみた





2023年12月30日土曜日

小振りの刃物研ぎ そして太鼓を叩く天使

 

小振りの刃物研ぎ14丁


こちらは古いイタリアの土産物
太鼓を叩く天使

こういった絵も
15世紀に描かれている

日本で言えば
雲中供養菩薩のようなものか・・




謎解き鳥獣戯画なる本を買ってみた
新潮社のトンボの本は内容はいいのに
装丁が自分の趣味に合わないので
いつも買うかどうか迷う
今度のものもカバーが気に
入らないので外したが
トンボの本は中身の表紙も
殺風景なので・・自分で書いた

見返し部分

12世紀〜13世紀に描かれたとされる
鳥獣戯画は甲乙丙丁と四巻あり
甲巻きが有名だが
他の巻きもいろいろ興味深い
甲巻きと丙巻きに描かれている
カエルは作者が違うような気がする


乙巻きにはこのようなものも
描かれている


因みに、この猫は
レンブラントが描いたもの
餌の器には骨しか入ってないせいか
機嫌が悪そう・・

2023年12月18日月曜日

デコピン そして弥勒菩薩

 

京都にある広隆寺は
7世紀に聖徳太子のブレーンであった
秦河勝hata-no-kawakatsuが
建立したとされていて
これまでに2回焼失している、とされている
一説によると、元々の広隆寺は窓がなく
大きな入口が一つだけの構造で
中には景教の黒い十字架が
一つ置かれていたらしい
それを裏付けるように
広隆寺の弥勒菩薩像の右手の指の様子は
中国の敦煌で発見されている
景教の大司教画と同じで
またキリスト教のキリスト画にも
同様のものが見られる
聖徳太子と秦河勝は
キリスト教ネストリウス派ともされているが
それを裏付けることでもあるのか・・・
はたまたデコピンの元祖か

中国敦煌壁画 景教の大司教


大谷翔平くんの愛犬の名はデコピン


2023年12月14日木曜日

有元利夫の銅版画 そして奴奈川姫


有元利夫のエッチング

同じ版で作られたもの
表現の違いが興味深い

これは九州の最北端に位置する福岡県の志賀島shika-no-shimaから江戸時代に発見されたとされる金印。「穴師兵主神anase-hyozu-no-kami の源流」という本に目を通していたら、万葉集の「ちはやぶる 金の埼を 過ぎぬとも 吾は忘れじ 志珂の皇神」という和歌が紹介されていた。
この金が金印のことだとしたら、話がややこしくなるが、万葉集が成立した8世紀頃に、すでに志賀島に金印が存在していたことが一般的に知られていたとも捉えることができるのでは・・


このことは翡翠hisuiで作られた勾玉magatamaにも言え、昭和の初め頃までは日本の古代遺跡から出土する翡翠は海外からもたらされたもので国産のものではないとされていました。
それが、万葉集にある歌「渟名河(ぬなかは)の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」から翡翠は日本にも産するのではないかと推測され、新潟県の糸魚川で翡翠の原石が発見されたのです。
現在では兵庫県や長崎県からも産出することが分かっています。




奴奈川姫像
上に紹介した万葉歌の渟名河は
奴奈川とも書かれ
奴奈川姫は中国の神仙思想に
登場する西王母
と同一とする説もあります

wikipediaで紹介されている
西王母

銅鏡にも鋳込まれている

2023年12月5日火曜日

蚩尤と神武天皇などの容貌

兵庫県によく見られる兵主神社hyozu-jinjaの祭神である兵主神hyosu-no-kamiは中国の武神である蚩尤shiyuであるとする説は以前紹介したことがあります。
五帝本紀」では蚩尤は最も乱暴な武士で、鉄沙をもって兵器を作り、黄帝軍をさんざん悩ました、と記述されているほどですから、武神でもあり、鉄の神とされたのは当然かもしれません。

「穴師anase兵主神の源流」の
著者、皆神山すさ氏は
蚩尤はシュメール語のシムグが
源であるとし、朝鮮では朱蒙
であるとしています。

蚩尤の容貌
Wikipediaから引用

このような図もある

上に紹介した蚩尤は異様な容貌をしていますが、先代旧事本紀には
人皇・天皇の容貌が書かれていて、
初代天皇の神武天皇は身長が3m以上あり、頭に9cmほどの角があり長い尾も生えている。
また、二代目の綏靖suizei天皇には背中にウロコがあり、怒ると逆立つ。
七代目孝霊天皇は顔が長く龍のようで耳は逆立ち、その耳の後ろに白い鱗(うろこ)がある。また、胸にも9枚の鱗があり、その九つの隙間から気を放っている。
十代崇神天皇は身長は1m90cm。額に10cmほどの青い角が1本ある。
下アゴの歯は長く鋭く上アゴの歯は短く丸く舌は長く鼻にまで届く。
十一代垂仁天皇は身長1m80cm。髪は右曲がりに頭を9周するように生え、
頭頂部で輪のように巻いている。
また、両脇の下には金と緑の羽を持ち、
肘にも同じような羽が根ざしていた。
とあります。

人皇16代・応神天皇の容貌。身長3mほど、目は弓を張ったような形、
胸に72本の牛の尾のような青毛があり、
長さは馬の尾の如し。

人皇17代・仁徳天皇の容貌。身長2.7m、耳は眉の上あたりから口の下に垂れ、
足の指は長く手の指の如し。
これらの記述を見ると蚩尤や神武天皇などはレプタリアン系の
宇宙人のようにも思えます。
以上のことは古事記や日本書紀には書かれていませんが、不思議なことにサルタヒコの容貌は日本書紀に「鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いている」と記されています。
この記述は先代旧事本紀のサルタヒコの記述とほぼ同様なのです。
これはいったいどういうことでしょうか・・