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2023年12月11日月曜日

四つの緒 そして「もちにまる」

 

兵庫県三木市で行われた
エクラ・ハートフルシティ
コンサート
無事に終了しました

当日ゲットしたガチャ
鏡餅「もちにまる」の
いぬもち

肉球まで再現されている

こちらは十訓抄jikkinsyoの記述
平安時代の出来事
上東門院(一条天皇の后)の御帳の中で
犬が子供を産んだことが
大げさに吉兆とされている

琵琶についての記述
玄象genjoの三緒という字が
目に止まった
玄象は琵琶の銘だが
文脈から察すると
緒は琵琶の絃と思われる
ちょっと調べてみたら
四つの緒というのは
琵琶の異称らしい


2023年12月5日火曜日

蚩尤と神武天皇などの容貌

兵庫県によく見られる兵主神社hyozu-jinjaの祭神である兵主神hyosu-no-kamiは中国の武神である蚩尤shiyuであるとする説は以前紹介したことがあります。
五帝本紀」では蚩尤は最も乱暴な武士で、鉄沙をもって兵器を作り、黄帝軍をさんざん悩ました、と記述されているほどですから、武神でもあり、鉄の神とされたのは当然かもしれません。

「穴師anase兵主神の源流」の
著者、皆神山すさ氏は
蚩尤はシュメール語のシムグが
源であるとし、朝鮮では朱蒙
であるとしています。

蚩尤の容貌
Wikipediaから引用

このような図もある

上に紹介した蚩尤は異様な容貌をしていますが、先代旧事本紀には
人皇・天皇の容貌が書かれていて、
初代天皇の神武天皇は身長が3m以上あり、頭に9cmほどの角があり長い尾も生えている。
また、二代目の綏靖suizei天皇には背中にウロコがあり、怒ると逆立つ。
七代目孝霊天皇は顔が長く龍のようで耳は逆立ち、その耳の後ろに白い鱗(うろこ)がある。また、胸にも9枚の鱗があり、その九つの隙間から気を放っている。
十代崇神天皇は身長は1m90cm。額に10cmほどの青い角が1本ある。
下アゴの歯は長く鋭く上アゴの歯は短く丸く舌は長く鼻にまで届く。
十一代垂仁天皇は身長1m80cm。髪は右曲がりに頭を9周するように生え、
頭頂部で輪のように巻いている。
また、両脇の下には金と緑の羽を持ち、
肘にも同じような羽が根ざしていた。
とあります。

人皇16代・応神天皇の容貌。身長3mほど、目は弓を張ったような形、
胸に72本の牛の尾のような青毛があり、
長さは馬の尾の如し。

人皇17代・仁徳天皇の容貌。身長2.7m、耳は眉の上あたりから口の下に垂れ、
足の指は長く手の指の如し。
これらの記述を見ると蚩尤や神武天皇などはレプタリアン系の
宇宙人のようにも思えます。
以上のことは古事記や日本書紀には書かれていませんが、不思議なことにサルタヒコの容貌は日本書紀に「鼻の長さは七咫(ななあた)、背(そびら)の長さは七尺(ななさか)、目が八咫鏡(やたのかがみ)のように、また赤酸醤(あかかがち)のように照り輝いている」と記されています。
この記述は先代旧事本紀のサルタヒコの記述とほぼ同様なのです。
これはいったいどういうことでしょうか・・

2023年11月2日木曜日

挟軾完成 そして職人絵

平安時代の挟軾
kyoshoku
出来上がりました

こちらは江戸時代初期に
描かれた職人絵
番匠(現在の大工)


台鉋も描かれている
右端は罫引(ケビキ)で
左は鑿(ノミ)だろうか



こちらも江戸時代初期に
描かれた職人絵、鍛冶師
絵師は岩佐又兵衛

岩佐又兵衛の息子
勝重が描いたもの


そして岩佐又兵衛が描いた琵琶
柱 ji が三つしかない・・
かなり適当ですね

2023年9月11日月曜日

縞黒檀オブジェ そしてカマキリの顔


縞黒檀の端材でカマキリ・オブジェ
カマキリの顔はぜったいコレや
と自信満々で作ったら
あらま逆さまでした・・トホホ



仕方がないので
双子の栗でも乗せておこう


端材の元
筑前琵琶の撥Bachi
仕上げ磨きを終え
乾かしているところ
あと数日で完成 

さてこちらはシチリアの
トリナクリア(三脚巴tomoe)と

日本の三巴mitsu-domoe

あるいは八咫烏yatagarasuとの
共通項に興味が湧く



マン島の紋章、何故かカラスが・・

また、船の先端に止まって
水先案内をしているかのような鳥が
描かれたモチーフが
紀元前15世紀頃の
古代エジプトの墓の壁画と

6世紀の日本の古墳の壁画に
見られる不思議
八咫烏は神武天皇が東遷した際に
伊勢(ise三重県)から
橿原(kashihara奈良県)まで
道案内をしたとされている

2023年8月13日日曜日

描かれた琵琶とリュート そしてコブザ

 

扶桑隠逸伝に
描かれている盲僧琵琶

俳諧百一集から貞室 
歌は「是は是はとばかり花のよしの山」
解説文は「妙境おのづから吉野見ぬ人の目も喜しむ。此一句に此山の絶景尽たり」


金沢大学に所蔵されている
近世の加賀藩における
1年間の行事や風俗について
描かれた絵図
儀式風俗図絵の「七夕:乞巧奠」
には琵琶も描かれているが
これは芸事の上達を願うため
タライに梶の葉を浮かべているのは
七夕の星見をする
設えshitsuraeらしい

この絵では箏が置かれている

現在も行われていて
その様子

大宮八幡宮での「七夕:乞巧奠」


これは琵琶の親戚とも言える
ルーマニアのコブザ
指板にフレットがないのは
アラブのウードにも似ています

さてこちらは
ウードが祖先とされる
リュート
右手の構え方に注目

こちらは左手で弾いてますが
構え方は上の絵と同様で
弾く指は弦と直角になっています

これまで、リュートを弾く指は
このように弦と平行に近い角度で
弾かれるのを
よく目にしましたが

Gerard Rebours氏は
昔描かれているような
奏法を提唱、実践されている

こちらはバロックギター

2023年8月6日日曜日

芭蕉と蕪村 奥の細道

 

海外で編纂された「世界の偉大な日記図鑑」を入手。日本人では松尾芭蕉が選ばれているが、手紙ではなく奥の細道が掲載されている。しかも芭蕉が書いたものではなく、蕪村が芭蕉の「奥の細道」を絵巻にした一部が紹介されている。なんで?と、つい思ってしまった。蕪村の奥の細道絵巻を本家の芭蕉の直筆奥の細道と比べて読んでいたら、違っているところを発見。



蕪村が書いた
芭蕉の奥の細道を
絵巻にしたもの
朱線は「路より近し」だが

芭蕉の直筆奥の細道では
「道よりちかし」
となっている

有名な句
蕪村の写しでは
「さみたれを あつめてはやし
最上河」
となっていますが

芭蕉の本句では
「さみたれを あつめてはやし
最上川」です

こちらは蕪村の
奥の細道図屏風
蕪村は琵琶を詠んだ
「ゆく春や おもたき琵琶の
抱こころ」
という俳句がありますが
絵にも描いています
琵琶についての記述は
「其夜目盲法師の 琵琶をならして奥上るりと云物をかたる 平家にもあらず 舞にもあらず ひなびたる調子うち上て 枕ちかう かしましけれど さすかに辺土の遺風忘れさるものから殊勝に覚えらる」

こちらは奥の細道図絵巻

蕪村の文字。「其夜目盲法師の 琵琶をならして奥上留りと云物をかたる 平家にもあらず 舞にもあらず ひなびたる調子うち上て 枕ちかう かしましけれど さすかに辺土の遺風忘れさるものから殊勝に覚らる」

芭蕉直筆 「其夜目盲法師の 琵琶をならして奥上るりと云ものをかたる 平家にもあらず 舞にもあらず ひなびたる調子打上て 枕ちかう かしましけれど さすかに辺国の遺風わすれさるものから殊勝に覚らる」

芭蕉直筆と蕪村の文が
微妙に違っているのが興味深い
「奥上るり」は奥浄瑠璃のこと

因みに
松尾芭蕉の琵琶を詠った俳句は
二句知られていて一つは
「わた弓や 琵琶になぐさむ 竹のおく」
そして「琵琶負て 鹿聞に入 
篠sasaのくま」。