五月雨samidareに揺れる
枝垂れshidareモミジ
翌日は五月晴satsukibare
ポポーの花とアマガエル
そして実になったばかりのポポー
こげ茶色の顔料ニスを作り
修復中の18世紀マンドリンの
ヘッドの周囲に塗る
ニス塗り完了
ヘッドの欠落部品を作っていく
修復前の状態
修復中の18世紀マンドリンと
次回製作するマンドリンのために
ペグを作る準備
ジュジュベ材は堅く緻密なので
炭素鋼の初弘鉋が向いている
優れた炭素鋼は切れが軽く
しかも刃先が強靭
旋盤加工のための下準備完了
こちらは広島県在住の刀匠久保善博氏
現在無鑑査(刀剣コンクールに於いて
複数の特賞を受賞)の実力派
日本古来の「たたら製鉄」に関する
論文(銑zuku生成のための
酸化チタンの働きと重要性を解明)は
これまでの常識を覆すものとして
注目されているようです
松本清張の短編小説に
「或る小倉日記伝」
というのがある
若い頃から時折読み返してきたが
ここ数日ちょっと掘り下げて
この小説を楽しんでいる
朝井まかてさんの小説「類」
には「或る小倉日記伝」も
話題に上っていて
「類」は森鴎外の末子の名で
鷗外の死後紛失していた
鷗外の小倉赴任時代3年間の
日記の発見者としても知られている
そのあたりのことを
まかてさんの小説では
清張の「或る小倉日記伝」の
内容と実際のことを比較して
森類に回想させている
「或る小倉日記伝」は
紛失していた鷗外の小倉時代の
日記に代わる記録を
主人公の田上耕作が
作り上げようとする奮闘記
とも言えるが
田上耕作は実在の人物で
志したことも実際のことらしいが
この記録は紛失していて
現在では目にすることが叶わない
森鷗外の小倉日記は
先に述べたように昭和23年に
類によって発見され
妻の美穂が浄書し
3年後の昭和26年に
世に発表されている
「或る小倉日記伝」では
その前年に田上耕作が死亡し
小倉日記が発見されたことを
知らずにこの世を去ったのは
本人にとって良かったのか
悪かったのか・・
として終わっている
ところが実際は田上耕作は
戦争中の昭和20年に
空襲で亡くなっている
このあたりのことを
朝日まかてさんは
小説の脚色としての
松本清張の手腕を類に感心させ
本来ならば小説家でもあった
自分が書くべき小説であったと
悔しがらせている
また、皮肉なことに
松本清張は「或る小倉日記伝」で
芥川賞を受賞しているが
類は芥川賞候補になるか
というところまでは行ったが
結局叶わなかった
事実は小説よりも奇なり
PDFファイル
田上耕作氏
匜という器
読み方は「はそう」「はぞう」「はんぞう」
と様々で、音読みは「い」
胴に小さな丸い穴が開けられている
須恵器が多く出土していて
用途はいろいろ説明されているが
古代史にも造詣が深かった
小説家の松本清張氏は「笛壺」という
短編で登場人物に
この穴に竹を差し込んで
酒を飲んだのではないかと
想像させている
須恵器の匜
平安時代の匜
こちらは絵巻に描かれている番匠
喜多院職人尽絵
岩佐又兵衛作
鎌倉時代に描かれたとされる
荏柄egara天神絵巻