2011年3月31日木曜日

工房の様子 トーレス型Kiyondギター

今回製作するのは
トーレス型モダン・タイプ
これは特注トーレス型モダン・タイプの響板
音作りはKiyond風にということで
製作していきます

響板材は30年近く寝かせた
ヨーロッパ・スプルース


裏板は、全面にさざ波のような
美しい杢が入った
オバンコールを使います


 トーレス型モダンの補強材接着の様子


こちらは裏板


2011年3月27日日曜日

19世紀ギター ラコート・タイプ

初めて使った
裏・横板の試作品が
出来上がりました
材種不明ですが
19世紀ギターに
充分使える感触を得ました
音出しをYou TubeにUP
しました
ギタリスト










指板はスキャロップ
scallop仕上 

弦長630mm


2011年3月24日木曜日

工房の様子 初期ミルク-ル・タイプ完成

出来上がった19世紀ギター
特注初期ミルクール・タイプ
弦長630mm



















その他のミルクール・タイプはこちら


工房の様子 ラコート・タイプ完成

19世紀ギター
ラコート・タイプが出来上がりました
弦長630mm 









2011年3月23日水曜日

内行花文鏡と貨泉、そして陶塤

前回述べたように、伊都国(福岡県糸島市)では内行花文鏡と貨泉(かせん)が出土していますが(参照)、このような例が他の地域でも見られるのです。
内行花文鏡は九州北部から中部日本にかけて多く出土していて、北は福島県でも発見されています。貨泉もほぼ同様の分布を示していますが、琵琶湖以西がほとんどで、最北は今のところ富山県。そして、この両方が出土しているところは、福岡県春日市の奴国、糸島市の伊都国、それから岡山県の吉備地方、そして京都府北部の丹後、加えて、県は違っていますが出雲地方(鳥取県で貨泉、島根県で内行花文鏡)。
こうしてみると古代の大きな豪族がいた地域ばかりなのです。北部九州王国、出雲王国、吉備王国、そして丹波(あるいは丹後)王国。これは偶然なのでしょうか・・。
なかでも興味深いのは京都北部の丹後地域なのですが、まず、内行花文鏡は元伊勢とも云われている(この)神社に古来より伝えられているのです。ここには二点所蔵されていて、それぞれに名が付けられています。前漢時代のものは邊津鏡(へつかがみ 直径9,5cm)、そして後漢時代のものは息津鏡(おきつかがみ 直径17,5cm)とされています(参照)。邊津鏡と同様のものはHPの「漢代の銅鏡文字について」でも紹介しているように(参照:七段目と最後の段)、上海博物館にも所蔵されています。
それから、息(奥)津鏡と邊津鏡は古事記では天日槍が持って来た神宝の一つとされています(参照:最後の段)が、そうするとそれが籠神社に伝えられたのでしょうか・・。疑問が残るところであります。
もう一つ、内行花文鏡と貨泉が発見されている地域の日本海側で共通して出土しているものに陶塤(とうけん)があります(参照)。これも中国を源として弥生時代後期に日本に伝わって来ているものですが(日本国内で70個ほど発見されているようです)、おそらく内行花文鏡や貨泉といっしょにもたらされたものと思われます。
貨泉については、中国側の外交手段として使われ、日本にも及んだという説も見られますが、そういうことではなく、この貨幣を持った民族が日本に移住してきたとするのが妥当のように思われます。そうでなければ、陶塤のような、民族にとって大切な楽器がいっしょに持ち込まれる必要性はないのではないでしょうか。
それにしても、弥生時代のごく限られた時期(紀元1世紀頃)に、北部九州王国(福岡県北部)、出雲王国(島根県)、吉備王国(岡山県)、丹後王国(京都府北部)が各地で同時に勢力を誇っていたというのは驚きです。そして、このことを想像すると、様々なことが連想されるのです・・