2024年7月20日土曜日

久しぶりの大阪、そして広重

 

今日の工房の様子
縁飾りを接着


昨日は久しぶりの大阪

そして広重展

ミュージアムショップでゲット

広重の「阿波鳴門の風波」は

北斎の大波図 bigwave を
参考にしたのか
因みに北斎は1760年生まれ
広重は1797年生まれ

また、北斎大波絵は
1752年生まれの彫物師
通称「波の伊八」の木彫作品を
参考に描かれたという説もある

2024年7月19日金曜日

曜変技術の進化 そしてドクダミの花

曜変技術は日々進化しているようです

同じ茶碗でも光の当り方で
見え方が違う

こちらは工房裏に自生している
ドクダミの花
一株だけこのような花が・・


この花が咲いているのは
一重咲きのエリア

通常の一重咲き


近くにはこのような
変な花もある
突然変異か・・


こちらは八重咲きのエリアで
向こう側が一重咲きのエリア
今年5月の様子

2024年7月15日月曜日

豆鉋を研ぎ響板を接着

 

ネックに突板 veneer を
巻き付け接着したところ

接着完了

豆平鉋を研ぐ


接着面を微調整

こちらはバロックマンドリン

接着完了


梅雨時でも工房内はこんな感じ
日付、曜日、時間は
設定していないので無視してください

2024年7月14日日曜日

18世紀マンドリンに友禅和紙を貼る そして阮咸、秦琵琶

 

製作中の18世紀マンドリンの
内部に友禅和紙を貼った

バロックマンドリンはそのまま

サウンドホールからの眺め

貼ろうと思って集めた紙
貝殻模様も捨てがたかった

以前紹介した田能村竹田
 tanomura chikuden が描いた
「琵琶行 biwa-koh 図」の琵琶は
三味線ではないかと書きましたが
いろいろと調べた結果
琵琶と呼ぶことができることが判明
昭和43年(1968年)に東洋音楽学会より
出版された「唐代の楽器」では
当時阮咸genkan のことを秦琵琶とも
呼んでいたと説明されています
阮咸は後の月琴gekkin よりも
棹(neck)が長いのが特徴で
田能村竹田が描いたものと同様の形状
ですから、竹田が「琵琶行図」を
描く際にこの楽器を琵琶として
認識していた、ということになります
ただし、琵琶行を書いた白居易は
漢時代中頃の人で、当時は琵琶といえば
正倉院に所蔵されている楽琵琶のことで
琵琶行に登場するのは
田能村竹田が描いたような
阮咸琵琶でなかったのは明白
竹田の考証は間違いとも言えます
因みに、大正7年(1918年)発刊の
「通俗琵琶史談」では阮咸を「阮咸琵琶」
と呼び、阮咸は人名で
「竹林の七賢(中国晋代)」の一人
この人が創った楽器なので阮咸と
命名されたと説明されています
またそれは銅製であったとも
書かれています
加えて琵琶は秦の時代の末に始まって
漢の時代に出来上がったので
「秦漢子shinkantsu」ともいう
としています
他には絃鼗gentohという楽器が
琵琶のルーツとも書かれています
鼗は日本のデンデン太鼓のような楽器

ウィキペディアで紹介されている阮咸

正倉院所蔵の阮咸


唐代の阮咸

琵琶行図の琵琶

同じく琵琶行図の琵琶

2024年7月12日金曜日

early マンドリン製作 ヘッドの接着



バロックマンドリンのヘッドを
導突窓鋸で所定の長さに
カットしているところ


際鉋 kiwaganna で
接着面を整える

ネックをカット


このように接着する


弦長とブリッジの位置を確認

こちらは18世紀マンドリン


接着完了