今昔物語 巻17
僧依毘沙門助令産金得便語(僧、毘沙門天びしゃもんてんの助けによりて金を産しめる便を得る語(物語))
今は昔、比叡の山の☐に僧有けり、やむごとなき学生がくしょうにては有けれども、身貧きこと限りなし。墓々しき檀越なども持ざりければ、山には否(恐)なくて、後には京に下て、雲林寺と云ふ所になむ住ける。父母などもなかりければ、物云懸る人などもなくて、便よりなかりけるままに、其の事祈り申すとて、鞍馬にぞ年来仕りける。
而る間、九月の中の十日の程に、鞍馬に参にけり。返けるに出雲路の辺にて日暮にけり。幽かすかなる小法師一人をなむ具したるける。月いと明ければ、僧足早に忩いそぎて返りけるに、一條の北なる小路に懸る程に、年十六七歳ばかり有る童の、形ち美麗なるが月々し気なるが、白き衣を四度解无気しどけなげに中結たる、行き具したり。
僧、道行く童にこそは有らめ、共に法師ども具せずねば、恠しと思ふ程に、童近く歩び寄て僧に云く、「御房は何こへ御すぞと。」僧、「雲林院と申す所へ罷る也」と云へば、童、「我を具して御せ」と云へば、僧、「誰とも知り奉らで上の空には何かに。和君は亦何へ御ますぞ。師の許へ御ますか、父母の許へ御ますか。具して行けと有るは、喜しき事には侍れども、後の聞えなむ悪く侍りなむ」と云へば、童、「然思さむは理なれども、年未知て侍つる僧と中を違て、此の十日ばかり浮れ行き侍るを、祖にて有し人にも幼くて送れにしかば、いと借くなる人有らば、具して奉て、何ち也ともと思ふ也」と云へば、僧、「いと喜しき事にこそ侍なれ。後の聞え侍りとも、法師が咎には有まじかなり。然れども、法師が候ふ房には、賎あやしき小法師一人より外に人も候ず。
いと徒然にて侘しくこそは思さむずらめと云ひて、語ひ行くに、童の極て厳かりければ、僧心を移て、然れば只将行なむと思て、具して、雲林院の房に行ぬ。火なむど燃ともして見れば、此の童 色白く 顔福らかにて、愛敬付き 気高かき事限なし。
僧、此を見るに、極く喜しく思て、定て此れ下臈げろうの子などにては有じと見ゆれば、僧、童に「然ても父は誰とか聞えしど」な問ども、何かにも云ず。寝所など常よりは取☐て臥せつ。
僧は、傍に臥して物語などして寝たる程に、夜も明ぬれば、隣の房の僧共、此の童を見て☐て讃め合たり。僧は童を人にも見せずして思て、延にだに出さずして、いと珍らしく心の暇もなく思ふ程に、亦の日も暮ぬれば、僧近付て、今は馴々しき様に翔けるに、僧 恠しき事☐思けむ。僧 童に云ける様、「己おのれは此の世に生れて後、母の懐より外に女の秦(肌)觸る事なければ、委くは知ねども、恠く例の児共の辺に寄たるにも似ず。何にぞや、心解くる様に思え給ふぞとよ。若し女などにて御するか、然らば有のまゝに宣へ。今は此く見始め奉て後は、片時離れ奉べくも思えぬを、尚 恠く心得ず思ゆる事の侍つる也」と云へば、
童、打咲て「女にて侍らば、得意にも不☐しとや」☐(と)云へば、僧、「女にて御せむを具し奉て有らむは、人も何にかは申すらむと思て愼ましくこそは。亦三宝の思食さむ所も怖しくこそは」と云へば、童「三宝は其に心を発して犯し給ふ事ならばこそは有らめ。亦 人の見む所は童を具し給へるとこそは知らめ。若し女に侍りとも童と語ひ給ふらむ様に翔て御かし」と云て、いと可咲気に思たり。
僧、此れを開て女なりけりと思ふに、怖しく悔しき事限なし。然れども、此が身に染て思はしく、労たければ出し遣る事をば為さで、此く聞て後は、僧 外々☐て衣☐隔てゝ寝けれども、僧凡夫也ければ、遂に打解て馴れ陸(むつび)たる有様に成にけり。
其の後は、僧 極き童と云へども、此く思はしく労たきもなし。此れは然べき事なめりと思て過ける程に、隣の房の僧共などは、「微妙き若君を然ばかり貧しき程に、何にして儲たるにか有らむ」とぞ云ける。
而る程に此の童は心地例ず成て、物なんど食ず。僧 いと恠しく思ふ程に、童の云く、「我れは懐任しにけり。然☐(知)り給ひたれ」と。僧此を聞て、踈うき顔して、「人には童と云てぞ月来☐有つるを、極めて侘しき事かな。然て子産む時は、何がせむと為る」と云へば、童、「只御せ。よも其に知せ奉らじ。然らむ時には只 音為ずせで御せ」と云へば、僧心苦く いと惜く思ひ乍ながら過る程に、既に月満ぬれば、童 心細気に思て、哀れなる事共を云て泣く事限なし。
僧も哀れに悲しく思ふ程に、童、「腹痛く成たり。子産べき心地す」と云へば、僧侘て騒げる。童、「此な騒ぎ給ずそ。只然べき壷屋に壷に畳を散て給へ」と云へば、僧、童の云ふまゝに、壷屋に畳を敷たれば、童其に居て暫許とばかり)有るに既に子を産つるなめり。衣を脱ぎ着て子を含み臥せたるに様にして、母は何ち行とも見えずで失にけり。僧いと恠く思て、寄て和ら衣を掻去て見れば、子はなくて、大きなる枕許ばかりなる石有り。僧怖しく気踈けうとく思ゆれども、明りに成して見れば其の石に黄なる光有り。吉々く見れば、金也けり。童は失にければ、其の後僧面影に立て、有つる有様恋しく悲しく思えけれども、偏ひとえに鞍馬の毘沙門の我れを助けむとて謀り給たる也けりと思て、其の後 其金を破つつ、売て仕けるに、実に万づ豊に成にけり。
然れば本は黄金と云けるに、其より後、子金とは云にや有らむ。此の事は弟子の法師の語り伝たる也けり。毘沙門天の霊験掲焉けちえん(著しい)なる事 此なむ有けろとなむ語り伝へたるとや。
僧依毘沙門助令産金得便語(僧、毘沙門天びしゃもんてんの助けによりて金を産しめる便を得る語(物語))
今は昔、比叡の山の☐に僧有けり、やむごとなき学生がくしょうにては有けれども、身貧きこと限りなし。墓々しき檀越なども持ざりければ、山には否(恐)なくて、後には京に下て、雲林寺と云ふ所になむ住ける。父母などもなかりければ、物云懸る人などもなくて、便よりなかりけるままに、其の事祈り申すとて、鞍馬にぞ年来仕りける。
而る間、九月の中の十日の程に、鞍馬に参にけり。返けるに出雲路の辺にて日暮にけり。幽かすかなる小法師一人をなむ具したるける。月いと明ければ、僧足早に忩いそぎて返りけるに、一條の北なる小路に懸る程に、年十六七歳ばかり有る童の、形ち美麗なるが月々し気なるが、白き衣を四度解无気しどけなげに中結たる、行き具したり。
僧、道行く童にこそは有らめ、共に法師ども具せずねば、恠しと思ふ程に、童近く歩び寄て僧に云く、「御房は何こへ御すぞと。」僧、「雲林院と申す所へ罷る也」と云へば、童、「我を具して御せ」と云へば、僧、「誰とも知り奉らで上の空には何かに。和君は亦何へ御ますぞ。師の許へ御ますか、父母の許へ御ますか。具して行けと有るは、喜しき事には侍れども、後の聞えなむ悪く侍りなむ」と云へば、童、「然思さむは理なれども、年未知て侍つる僧と中を違て、此の十日ばかり浮れ行き侍るを、祖にて有し人にも幼くて送れにしかば、いと借くなる人有らば、具して奉て、何ち也ともと思ふ也」と云へば、僧、「いと喜しき事にこそ侍なれ。後の聞え侍りとも、法師が咎には有まじかなり。然れども、法師が候ふ房には、賎あやしき小法師一人より外に人も候ず。
いと徒然にて侘しくこそは思さむずらめと云ひて、語ひ行くに、童の極て厳かりければ、僧心を移て、然れば只将行なむと思て、具して、雲林院の房に行ぬ。火なむど燃ともして見れば、此の童 色白く 顔福らかにて、愛敬付き 気高かき事限なし。
僧、此を見るに、極く喜しく思て、定て此れ下臈げろうの子などにては有じと見ゆれば、僧、童に「然ても父は誰とか聞えしど」な問ども、何かにも云ず。寝所など常よりは取☐て臥せつ。
僧は、傍に臥して物語などして寝たる程に、夜も明ぬれば、隣の房の僧共、此の童を見て☐て讃め合たり。僧は童を人にも見せずして思て、延にだに出さずして、いと珍らしく心の暇もなく思ふ程に、亦の日も暮ぬれば、僧近付て、今は馴々しき様に翔けるに、僧 恠しき事☐思けむ。僧 童に云ける様、「己おのれは此の世に生れて後、母の懐より外に女の秦(肌)觸る事なければ、委くは知ねども、恠く例の児共の辺に寄たるにも似ず。何にぞや、心解くる様に思え給ふぞとよ。若し女などにて御するか、然らば有のまゝに宣へ。今は此く見始め奉て後は、片時離れ奉べくも思えぬを、尚 恠く心得ず思ゆる事の侍つる也」と云へば、
童、打咲て「女にて侍らば、得意にも不☐しとや」☐(と)云へば、僧、「女にて御せむを具し奉て有らむは、人も何にかは申すらむと思て愼ましくこそは。亦三宝の思食さむ所も怖しくこそは」と云へば、童「三宝は其に心を発して犯し給ふ事ならばこそは有らめ。亦 人の見む所は童を具し給へるとこそは知らめ。若し女に侍りとも童と語ひ給ふらむ様に翔て御かし」と云て、いと可咲気に思たり。
僧、此れを開て女なりけりと思ふに、怖しく悔しき事限なし。然れども、此が身に染て思はしく、労たければ出し遣る事をば為さで、此く聞て後は、僧 外々☐て衣☐隔てゝ寝けれども、僧凡夫也ければ、遂に打解て馴れ陸(むつび)たる有様に成にけり。
其の後は、僧 極き童と云へども、此く思はしく労たきもなし。此れは然べき事なめりと思て過ける程に、隣の房の僧共などは、「微妙き若君を然ばかり貧しき程に、何にして儲たるにか有らむ」とぞ云ける。
而る程に此の童は心地例ず成て、物なんど食ず。僧 いと恠しく思ふ程に、童の云く、「我れは懐任しにけり。然☐(知)り給ひたれ」と。僧此を聞て、踈うき顔して、「人には童と云てぞ月来☐有つるを、極めて侘しき事かな。然て子産む時は、何がせむと為る」と云へば、童、「只御せ。よも其に知せ奉らじ。然らむ時には只 音為ずせで御せ」と云へば、僧心苦く いと惜く思ひ乍ながら過る程に、既に月満ぬれば、童 心細気に思て、哀れなる事共を云て泣く事限なし。
僧も哀れに悲しく思ふ程に、童、「腹痛く成たり。子産べき心地す」と云へば、僧侘て騒げる。童、「此な騒ぎ給ずそ。只然べき壷屋に壷に畳を散て給へ」と云へば、僧、童の云ふまゝに、壷屋に畳を敷たれば、童其に居て暫許とばかり)有るに既に子を産つるなめり。衣を脱ぎ着て子を含み臥せたるに様にして、母は何ち行とも見えずで失にけり。僧いと恠く思て、寄て和ら衣を掻去て見れば、子はなくて、大きなる枕許ばかりなる石有り。僧怖しく気踈けうとく思ゆれども、明りに成して見れば其の石に黄なる光有り。吉々く見れば、金也けり。童は失にければ、其の後僧面影に立て、有つる有様恋しく悲しく思えけれども、偏ひとえに鞍馬の毘沙門の我れを助けむとて謀り給たる也けりと思て、其の後 其金を破つつ、売て仕けるに、実に万づ豊に成にけり。
然れば本は黄金と云けるに、其より後、子金とは云にや有らむ。此の事は弟子の法師の語り伝たる也けり。毘沙門天の霊験掲焉けちえん(著しい)なる事 此なむ有けろとなむ語り伝へたるとや。
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