以前紹介した(参照下さい)
明治10年第一回内国勧業博覧会の出品解説の内
砥石の産地が掲載されている本を紹介して欲しい
という要望がありましたので
UPしておきます
明治前期産業発達史資料
これは昭和37年(1962年)に
復刻されたものです
砥石に関する解説は
第7集(1)に掲載されています
復刻版で紹介されている
明治時代に出版された原本
明治30年代に撮影された
博覧会の様子
同じ頃関東で撮影された
鎌研ぎの様子
砥石の産地が記載されている頁
砥石に関する記述のところを現代語風に読み下しておきます
間違いなどありましたら
ご指摘お願い致します
中砥石各種
各県、諸州から産出されているものを蒐集しゅうしゅうした
砥石を産出する地は、
おおむね運輸の便が悪いので
運搬が容易な土地では
古来から採掘されていて
すでに掘り尽くされている
所もある
このことから、中砥石が古来から必需品だったことが伺われる
精あわせ砥石 青砥石
精砥あわせとは
剃刀(カミソリ)砥のことである
青砥は煙草たばこ屋が
主に使っている
これらの砥石は泥磐層中に
産するので精砥の色はたいてい黄色あるいは褐色で
青みを帯びているものもある
青砥は暗い青一色で
出ることはない
白精あわせ砥石
白精砥石の最上のもの
とされるのは
降灰石にまれに産する
三河名倉砥のようなものである
この砥石が降灰層中に成立する造化法(生成過程)は
絶妙で驚嘆に値するものである
以下、その点を
詳細に解説すると
降灰石が堆積している
地面の面積は
その堆算法に随えば、日本列島の面積の約10分の1~2である
その層は大抵他の諸石の
上部に有り
広大な面積を占めている
そのなかで将来的に磐石に
化成するであろうと
思われる層は陸奥北郡と
二戸郡の全地域にある
それは一望できる長丘を
形成していて
場所によっては長さは400kmほどあり
概ねおおむね新しく降灰し
堆積したものである
当時、降灰で海が陸になったことも知られている
その火山は西には
岩城山(岩木山・津軽富士)
他にはこれらの地から40km~80km地点にも火山が多く
長丘を形成する要因となったものと思われる
この他、火山地域で降灰が岩石の脈を成すときは
20km~80kmに及ぶ
この岩石生成は火気造化によるものなので
石中に生物の痕跡は見られない
第13号 降灰石
三河国 設楽したら郡川合村
採掘され始めたのは
寛永年間とされ
それ以来、時に採掘が止められたり、再開されたりしてきた
現在、地元の人によって
採掘されているが
世の中に広く行き亘る
ほどではない
砥石の脈は20余りのはっきりとした層になっていて
その層は厚いところと
薄いところがある
その中で緻密で鋭利なものが
精あわせ砥として使われる
この砥石は火山作用により
生成されていて
それを図によって示しておく
この砥石の効用は刀剣を研ぐには最上とされていて
刃の研ぎ上がりは霜が降りたような艶となり
素晴しい艶を発するので砥石の価値はたいへん高い
三河白名倉砥石の層の図
上磐
メシロ(目白):一寸五分(4.5cm)
テンジョウ(天井):
二寸五分(7.5cm)
アツフタ(厚蓋の意味か?):
七寸(21cm)
ヤケン(薬研か?):五分
(1.5cm)
中砥石:一寸八分(5.4cm)
オオムシ(大ムシか?):五寸(15cm)
シモムシ(下ムシか?):
二寸五分(7.5cm)
上砥石:二寸(6cm)
カメ:五分(1.5cm)
トダ(イ砥台か?):二寸(6cm)
下磐
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