以前、このブログで
紹介した横枕遺跡
この遺跡についてはこちらの
HPでも述べていますが
時代は旧石器時代から
弥生時代とされています
この2枚の写真は私が
投稿したものですが
これは1998年発行の
志免町文化財調査報告書から
部分的に転載したものです
下の写真の左の卵形の石は
投弾と説明されています
時代は弥生時代前期頃の
ようですが
この投石を使った兵士集団が
住んでいたと思われる地が
この横枕遺跡の近く
(数百メートル西)に
あるのです
稲城(イナギ)という所です
現在は地名は残っていませんが
交差点の名前とバス亭に名残りが残っています
イナギを投石弾兵がいた所
とする説は
鹿島曻氏によるものですが
そのことを川崎真治氏はさらに詳しく解説しています
それを要約すると
ウル・シュメール語で
石(いさご)を紐で投げることをイグナと言った
イグナのイは「する」とう動詞
グは紐という意味
ナは石の意味
投石弾兵も同じく
イグナと言った
それがセム語になると語順が
変わってイナグとなった
このイナグの語尾が
屈折したのが古代日本語の
イナギとしています
漢字では稲城、稲置、
因支と書きますが
弥生時代~古墳時代の
日本ではこのイナギという言葉が投石弾兵の隊長
あるいは地方豪族の
姓(かばね)や
氏名だったとしています
川崎氏はこのことについて
例を挙げ
古事記や日本書紀で日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が
東征を命じられた際に
尾張の田子稲置
(タゴノイナギ)や
乳近稲置(チヂカノイナギ)を
遠征軍に加えた訳がはっきりすると述べています
ウィキペディアから転載
投石紐(スリング)
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