宮崎県西臼杵郡高千穂町に鎮座する 天岩戸神社で発見されたとされる岩蓋 文政四年(1821年)に発見されたということですが 小型の箱式石棺の蓋(ふた)石だったということです 石棺内には銅鏡七面と四個の土器が副葬されていたということで小型の箱式石棺ということと副葬品の銅鏡に大鏡が含まれていることから 時代は弥生時代後期頃と思われます 文字が刻まれた蓋石と石棺が 同じ時代とは限りませんが・・・
この岩戸文字が発見された後
明治八年(1875年)、大分県で上記(うえつふみ)が
発見され、そのなかの文字の解説により
この岩戸文字が解読されたということです
明治八年の読み
それみきみ みつみ
おほえこれのうつはわ
ほのあかりのみこと
これのあめのいわとに
こもりますときに
あそひのそなえに
まつるひとの
おおみかかみわ
すめおおみかみの
みたまとして
あめのいわやとに
のこしもちいたししなるを
あめのいわやどの
これのきしに
いわもてよひらにたてて
かくしおくなり
昭和7年に記された
「高千穂古文字伝」より
田近長陽氏による読み
ソヂ ミキミカミツミカミケ
ミカトヲ(モ)ホエ
コレノウツハワ
ホノアカリノミコトコレノ アメノイワトニ
コモリマストキノアソビノソナエニマツル
ヒトツノオ々ミカミワ
ハメヲ々ミカミノミタマシテ
アメノイアワトニ
ノコシモチ イダシナルヲ
アメノイワヤドノ
コチノキシニ
イワモテヲヒラニタテ
カクシオクナリ
参考として
藤芳義男氏による解読
其それ 神酒みき 甕みか 水みづ 甕みか
神食みけ 甕みか と覚おぼえ 是これの 器うつはわ
火明命ほのあかりのみこと 是これの天あめの岩戸いわと
に 籠こもります時ときの遊あそびの供そなえ
に奉まつる 一ひとつの大おお御鏡みかがみわ
皇すめ大御神おおみかみの御霊みたまとして天あめの
岩戸いわとに残のこし持もち出いだししなるを
天あめの岩屋戸いわやどの 是これの岸きしに岩いわもて
四よ皮ひらに立たてて 隠かくし置おくなり
次に高橋良典氏による解読
祖母ゆ開かれつる神
避さるヶ戸を掘り
これに無戸籠うつくまる
火明ほのあかりの御代みよに 天之岩戸へ
籠こもります時に
阿蘇火のそば
地震なゐへわたり
タカヒメの祖おや
ツカヤリは
皇祖すめをやゆかりの
蓋ふたつくりて
天之岩戸へ逃れき
地怒り唸うなるを
天之岩戸屋殿籠り
救へ岩守もりて
生きながらえたり
由来いはれを吐けり
平中芳明氏による解読
それ みきみ みつみ お
(相手側、満気身、密身、緒)
そちらは、気が満ちた御身、きめ細かい綿密な御身、
魂を繋ぐ緒
ほえ これの うつは わ
(誉、恵、こちら側、打つ、葉、和)
秀でた叡智の、こちらの、心を打つ言葉が上手く混ざる
ほの あかりの みこと これの あめのいわとに (誉、証、尊、こちら側、天岩戸)
秀でた証の尊 こちらの天の簡単には動かない磐戸に
こもります ときに あそ ひの そなえ (籠、時、彼方側、秘、備)
籠ります時に、こちらからもそちらからも遠いあちらの密かな備えをする
に まつる ひとの お おみ かかみ わ (二、祀、尊、緒、御身、加佳味、和)
再び祀る時、尊き人の魂の緒、御身に要素が加わり良い趣きに上手く混ざり和合する
すめおおみかみの
みたま として あめ
皇大御神の御魂として
いわやとに のこし もち いたし しなる (岩屋戸、残、保つ、至、品)
天の岩屋戸に保管して成熟するように
あめのいわやどの これの きしに い (天岩屋戸、こちら側、居)
天の岩屋戸のこちらの側に居て
わ もて よひらに たてて (和、以て、四方、盾)
協力して四方を護って
かくし おくなり (隠、置)
人の目にふれないようにして置く
他にも
あります。
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