小林秀雄の著書「本居宣長」を読み直していて、今回は本居宣長の日記に目を通しながら読んでいる
本居宣長の肖像画
江戸時代中頃の本居宣長は
13歳(1743年)から
日記を書き始め
72歳で亡くなる15日前まで
書いていて、それが
ほとんど残っているらしく
驚いてしまった
その日記の宝暦六年
宣長26歳のとき
医術を修めるため
京都遊学中の
正月九日の日記は
たいへん興味深い
この日夜山田孟明宅を訪れ
しめやかに物語など聞いた後
平家を語ったり
酒を呑んだりしながら
夜更けまで過ごしたという
平家を語る、とは
平家琵琶を弾きながら
平家物語を語ることで
平曲は江戸時代を通して
武士や町人の嗜みの
一つであったようですが
堅苦しいものではなく
このように酒を呑みながら
楽しむ場合もあったようです
このページは同じ年の
正月27日、安村検校の箏
そして藤村検校の三味線を
聞いたことが書かれてあります
そしてこれは宣長65歳
寛政七年三月24日の日記
伊勢(三重県)松坂での
出来事と思われます
旧暦ですから現在の4月頃
夕立のように
雨が降り始め
雷鳴を伴った大雨になり
大きな雹(ひょう)が
降ったと書かれています
宣長さん、よほど驚いたのか
雹の大きさを実物大で
描いています
ここ丹波篠山に降った雹
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