明恵上人の夢記には
自身による絵が描かれています
以下、それを全て紹介しておきます
上の絵は毘盧舎那像
その日記の文は
「一、同十一月三日申尅寄懸案眠入夢、
見三昧観時ヒル(毘盧)舎那像、
其像左右覆耳天衣中程ヨリ
貫黄珠為荘云々、非障子光、
覆耳ノ天衣ノ半ヨリ懸レル玉玉也」
ある年(承元三年・1209年以前
とされている)3月18日の日記
一同三月十八日夜夢材木ヲ三枚ヒキテ
深河ヲ渡了河フカケレトモ
杖ニスカリテ過了
一ノ材木ヲヲトシタレトモ又取り具了
一去年冬比夢云成弁堂ヲ
ツクラムカタメニ
杣山へ高尾ノ御房達ヲ
イクラトモナク
イケマイラス成
弁食物共ヲ々ロス云々
建保kenpoh六年(1218年)
咲はなもすかたもおなし
ことはりにおりいれてみよ
人のこころを
建暦二年(1212 年)の
11月19日の日記
夢に云はく、我が前に屏風有り
自づから絵を書く
図の如し
手許にある鑑賞石の模様に
似ているか・・
上の絵の日記
この絵の日記文
成弁之前有一薔kaki
其墻形ノタケノ如ナル小竹ノ
ナマシキカ葉シケレルヲ以テ
ウツクシク整并テ土居ニ
大ナル檜木ヲヱリテ之ヲ立タリ
其腰又以檜木挟之
其図
京都高尾山の図
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