2010年4月25日日曜日

碧玉と九鬼水軍 その7

九鬼(くかみ)文書では「スサノオの命(みこと)」が重要視されていて、スサノオと関連のある蘇民将来説話も記されています。ということは、結論から言えば、九鬼家のルーツはインドにあるということになります。
ここ篠山の神社にもインドの影響を見ることができます(参照)。
さて、スサノオは牛頭天王(ごずてんのう)とも云いますが、祇園祭りで有名な京都八坂神社の主祭神もスサノオで、この祭りはインドから伝わったものとされていることは確実のようです。また、その大元は古代イスラエルのシオン祭にあるという説もあります。それを裏付けるように、ユダヤ民族の象徴であるダビデの星✡は伊勢神宮の灯篭などにも刻まれています(参照)が、伊勢地方は蘇民将来の行事が盛んな地域でもあります。また、この地方の海女さんは、近年まで✡印を刺繍した手ぬぐいを頭に巻いたりしていたということです。
蘇民将来は日本だけではなく他の国にもあり、鹿島曻氏の調べによると、文献に見られるものとして旧約聖書の「出エジプト記」、「ヨシュア記」 、朝鮮半島の「桓檀古記」があり、そして日本では「備後国風土記」、「公事根源」、「九鬼文書」があるということです。
九鬼文書に蘇民将来説話が記されていることに、九鬼文書の研究者である三浦一郎氏や吾郷清彦氏も注目をしていますが、とくに日本・ユダヤ同祖論者の三浦氏は研究書で多くの紙面を割いています。
考えてみれば、日本神道の祖とされる天照大神が祀られている伊勢神宮がある地で、外来の文化である蘇民将来の行事が行われているというのは矛盾しているといえば矛盾しているのですが、古事記・日本書紀ではスサノオは天照大神の弟となっているので、もしそれが事実であるとすれば、天照大神も外来の神、あるいは人物ということになります。因みに九鬼文書では天照大神はスサノオの皇女ということになっています。
話を戻しますが、九鬼文書は手許にあるので、ちょっと調べました。蘇民将来説話に出てくる目印は✡、殺す者はスサノオ、殺された者は九鬼一族以外の者、助かった者は九鬼一族 となっています。
これが出エジプト記では、目印は戸口に塗った羊の血、殺す者はヤハウェ、殺された者はエジプト人、助かった者はユダヤ人となっていて、ヨシュア記では、目印は赤い帯、殺す者はユダヤ人、殺された者はエリコの住民、助かった者はユダヤ人を助けた遊女の一族となっています。
桓檀古記では、目印は不明、殺す者は牛角神キリコエアケ、殺された者は契丹民族の敵、助かった者は契丹民族。
備後国風土記では、目印は茅(ちがや)の輪、殺す者は武頭神(むとうしん)、殺された者は巨旦将来(こたんしょうらい)一族、助かった者は蘇民将来一族。
公事根源では、目印は茅の輪、殺す者は武頭天神、殺された者は蘇民将来一族以外、助かった者は蘇民将来一族、となっています。
蘇民将来については、こちらのHPでも以前少し述べました(参照・五段目)。

さて、これは九鬼家が別当をしていたとされる和歌山県の熊野三山の一つ熊野那智大社の社殿です。屋根に付いている角のようなものは千木というものですが、これは牛の角を表しているということです。

講談社刊 森田勇造著
「倭人の源流を求めて」から部分転載

そしてこれは千木のルーツとされているものですが、インドの西北部に位置するナガ高知にあるチャカサン族のメスルミ村の様子です。
東南アジア、タイの少数民族アカ族の村でも同様のものがありますが、千木の形状は日本のものにより近いものとなっています(参照
アカ族の集落には日本の鳥居のルーツとされるものもあります。アカ族が住んでいる一帯は中国雲南省を含め他に、餅やうどん、箸に下駄まであるのです。この地域が日本のルーツとされる所以であります。

このことは、HPの「日本の歴史について」で述べているように、弥生時代に日本に渡来した民族の一部に、インドから東南アジア経由でやって来た民族がいたということの裏付けになるのではないでしょうか。
また、その大元はメソポタミアなど古代西アジアにあるとも言えるのです。

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