ポンペイの壁画の一つです(紀元前後 )
この人物はアレキサンドロスとされていますが
この鎧は日本の古墳から出土しているものの中に
よく似ているものがあるのです(参照)
加治木義博氏が指摘していることなのですが
上の写真は中国・甘粛省卓尼(チョニ)に伝わる
民族芸能の様子です
この衣装が日本の能装束によく似ています
面をかぶっているのもそうですし
袴のようなものも似ています
それから、注目すべきは右手に持っている刀です
これは日本刀にそっくりではないですか・・
チョニの芸能と日本の能
どちらが古いのかは分かりませんが
これには驚いてしまいます
4 件のコメント:
古代日本の鎧と大好きなアレクサンダー大王の鎧との比較
楽しんで見ました。
騎馬民族との差がよくわかります。
足元の防御の有無ですね。
アレクサンダーは鉄の鎧で包まれていますが、映画の100のテルモピレーの戦いのレオニダス王は円形の盾と両刃の剣と兜のほかは革のパンツだけでした。
時代としては150年ほどアレクサンダーのほうが後なので武器が進んだと解釈すべきか?
蒙古がヨーロッパを目指したときは軽装でしたが重装備のヨーロッパ軍を蹴散らしています。
装備の充実よりも勝つという気力の充実が勝敗を決めるということか?
いずれにせよ、武器の優劣より、よい指導者・よく鍛錬された兵士、そして運を味方につけた方が勝つようですね。
源 信正
古墳時代の日本でも、九州王朝、吉備王朝、出雲王朝、
丹波王朝、近江王朝などとあったようですが、
それぞれの王は政治と軍事に長けていたのは想像できます。
当時は祭政一致が当然だったようですが、卑弥呼のように
女性が政治を司っていたということにも興味を覚えます。
この場合は軍事は男に任せていたのでしょうが、
神功皇后のように自ら軍を率いて戦に赴いた女性がいたのにも
驚きます。神功皇后の存在は疑問視されていますが、
そのような女性がいたことは事実だと思われるのです。
時代と国は違いますが、ジャンヌ・ダルクのような女性は
いつの時代にも現れるのだと思います。
古代の丹波では優秀な巫女の伝統でもあるのか、
そのような女性を専門に輩出していたようです。
古事記・日本書紀では天皇家に嫁いだ丹波出身の女性が
多く記されていますが、これは政略結婚だけでは
なかったようなのです。
正倉院刀剣の研磨をされた故小野光敬氏のDVD(匠の世界)を見てて日本刀の進化にあらためて気づかされました。
平安時代中期に領土拡大をねらい関東以北征服を狙った承平天慶の乱の時、原住民の使う蕨手刀のうち騎乗時に使い易い反りがついた彎曲刀に注目し開発が始まったのですね。
直刀の時は突きもしくは叩くが基本で切れ味はあまり求められていなかったのではなかろうか。
反りが付いたことで引いて切るようになり、左手で捌く様になり、体型が小柄でも、鞘から抜きやすくなったのでしょう。
また、鬼怒川流域の砂鉄を使った製鉄法を学び、輸入鉄、鉄鉱石による単純な地鉄と違う表情豊かな製鉄法になったのでしょうね。他国でも砂鉄を使う刀剣はあるのでしょうか?
美より効率を求めて鉄鉱石になったのであろうか?
DVDでは聖徳太子が使ってたという丙子椒林剣が出てきますが、地肌はうっとりするほど潤いがあり、刃が美しく白く光る姿はまさに国宝ですね。
何度も見返しました。
源 信正
小野光敬氏の映像は、私はVHSビデオが発売された際に
手に入れましたが、何度見たか覚えていないくらい見ました。
氏が手掛けられた正倉院の直刀は手に取って実際に見てみたいものです。
砂鉄も元々は鉄鉱石から分離したものですから、状態よりも
やはり産地の影響が大きいのでしょうね。
滋賀県西部の古代製鉄炉跡では当地の鉄鉱石を使って
製鉄を行っていたということも分かっています。
鍔作家の成木一成氏の優れた研究のように、砂鉄でも
産地によって鋼にしたときの様子が全く違うのは
やはり原料の微妙な成分の違いと製錬技術の違い
だと思われるのです。
今では製鉄の元祖地とされるヒッタイトの遺跡から出土した
鋼なども分析されていますが、組成分は基本的に
日本の古墳時代の鋼、あるいは蕨手刀の鉄と
それほど変わらないようです。
蕨手刀のなかには磁鉄鉱を原料にしているものもあるようですね。
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