青銅は銅と錫(すず)の合金ですが、ウィキペディアでは、青銅の歴史の項目で「イラン高原は、銅と錫、燃料の木材が豊富であった。また、多くの銅鉱石は錫を同時に含むので自然に青銅が得られた。」と説明されていますが、これには疑問を感じます。
シュメール語(楔形文字)の研究者であるゼカリア・シッチン氏は、青銅器が発明されたとされる紀元前3000年頃の王室の記録に、「グアデ王は金属で輝く神殿を建てた。彼は金属を使って神殿を輝かした。彼はエ・ニンヌの神殿を石で造り、それだけではなく、錫を混ぜた銅で神殿を建てた。鍛冶の頭領も、この地を守る女神の司祭も、その神殿の前で共に働いた。両手に余る幅のキラキラ光る石でレンガの壁を包んだのだ。両手に余る閃緑岩の輝ける石で。」というのがあると著書で紹介しています。
そして、神殿を造る石を加工するための青銅製の道具を作る際、あるいはレンガの壁を包むための閃緑岩を加工する青銅製の道具を作る際、その道具の硬さは、ある程度決まった硬さが必要なのではないでしょうか。そうしなければ道具として役に立たない。そのためには青銅の成分を調整する必要があると思うのです。つまり錫の含有率を同じにする必要があります。
シュメールから出土している青銅の銅と錫の比率は、およそ銅85%に対し錫が15%だということですが、この比率は様々な試行錯誤の結果出されたものだと思われます。そのためには、やはり鉱石を製錬する必要があります。
ウィキペディアの説明のように、たとえ銅と錫を含む鉱石が採れたとしてもすべてが同じ比率ではないだろうし、他の金属が含まれているかもしれません。文明の産物として出来上がったものはもっと高度なものではないでしょうか。
ですから、錫を得るためには錫石から製錬した方が能率的ですし、シュメール文明でもそれが為されていたようです。錫石はシュメール近辺にもあったようですが、記録によると、ほどなく掘りつくされてしまい、遠く離れた地の二つの錫鉱山から調達していたということです。ということは、そこに輸入業が成り立つことになるわけです。こうしてシュメールの商人たちは錫石を求めて、現在のボヘミアやザクセン地方にまで手を伸ばしていたということです。
また、同時代のテル・ゼロール遺跡(古代イスラエル)からは、青銅を産業としていた地域の倉庫群、溶鉱炉址などが発掘されています。溶鉱炉の「るつぼ」や「ふいご」、それから「ふいご」の先端部の羽口も出土していて、羽口も形状が違うものがあるということですので、「るつぼ」に風を当てるやり方も幾通りかあったということになります。ということは青銅器が作られ始めた当初から、大規模で、しかも高度な製錬が行われていたということになるのではないでしょうか。それから、テル・ゼロール遺跡の周辺では鉱石は採れないということなので、原料は他の地域から調達していたことになります。
さて、唐突ですが
これは弥生時代の銅鐸です
古代丹波北部にあたる
兵庫県豊岡市気比(けい)で出土したものです
古代丹波北部にあたる
兵庫県豊岡市気比(けい)で出土したものです
これも青銅製で、出土したものは
いわゆる青銅色をしていますが
これは錆の色で
いわゆる青銅色をしていますが
これは錆の色で
本来はこのような色をしています
これは古代の出土した銅鐸と
同じ金属成分を再現した複製品です
これは手に入れてから20年ほど経っていて
本来はもっと明るい色あいでした
日本で出土した銅鐸の成分に
ついてはこちらを参照ください
ついてはこちらを参照ください
参考までに、、これは日本の銅鐸の
ルーツではないかと言われている
古代中国、三星堆遺跡から出土している銅鐸です
ルーツではないかと言われている
古代中国、三星堆遺跡から出土している銅鐸です
三環鈴(さんかんれい)と呼ばれる馬具
これも青銅製です
4 件のコメント:
この記事のおかげで、青銅と鉄器の関係がやっとわかりました。
黄銅鉱を金鉱石と間違い加熱したことで銅ができたのだと思います。
黄銅鉱(CuFeS2)を酸化するとCu2S と Fe2O3ができます。
ケイ砂を加えて鉄を除き、更に石灰石を加えるとケイ酸カルシュームができて融材となり銅の融点が下がることで銅の融点である1084℃まで加熱することなしに銅にできる。
青銅を作るときには錫(融点232℃)を溶かした後に銅を加えると同じように800℃程度で銅が溶けるように合金ができる。
このように古代人も高温でなく合金を作っていたと思われます。
金のまがい物として銅を作っていた際出てきた鉄は高温を作り出せる技術が後年できて鉄をうまく使うようになったのだと想像しました。
博物館で見る古代の銅鏡も同じように青銅鏡だったんですね。
緑青がない青銅鏡は素敵でしょうね。
銅鏡を磨くのに水銀を使いアマルガム状態で光沢を出していました。磨きに従事してた職人さんは短命だったんでしょうね。
刀剣の受賞の件は申し訳ありませんでした。
もっと勉強しなくちゃいけませんね。
源 信正
古代中国でも、銅の精錬炉から転用されている製鉄炉が
確認されているようです。
また、浅井壮一郎氏の説のように、日本古代の製鉄は
葦の根などに発生する湖沼鉄を利用することから始まったと
いうことも十分に考えられます。
湖沼鉄は生物由来なので、燐が多く含まれていて
そうすると、低温還元が可能になるのだそうです。
おまけに、低温だから燐が鉄に移行することもない。
重ねて、湖沼鉄の成分は三価鉄(Fe+++)が主で
これも低温還元を容易にする要因だということです。
隼人と錫石の産地の関連について気付いたことを
書こうと思いながら、今回は前置きだけに
なってしまいました。
ですが、隼人は製鉄にも関係が深いのですね・・
このことも次回述べようと思っています。
http://plaza.rakuten.co.jp/Phoenix3/diary/?ctgy=2
隼人と製鉄の予習をしてたら上記の方のブログに出くわしました。
超古代を趣味としているようです。
国東半島、ヒッタイト、殷の関係を結びつけて面白い推論を展開しています。
3500年前の歴史書が出てくるといいのですが・・・
源 信正
情報をありがとうございます。
お示しのブログの出典はおよそ推測できますが、
あくまでも様々な説の一つとして理解しておいた方が
いいように感じます。
紀元前の歴史書についてはゼカリア・シッチン氏が
翻訳しているものがあります。
ゼカリア・シッチン説にも賛否両論ありますが、
シュメール関連の翻訳は信頼できるのではないでしょうか。
私は氏の天孫降臨宇宙人説も信頼できると思っていますが・・
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