3月14日のブログで
画家・磯江毅氏のことを
述べましたが
それを読んで下さった方から
感想を頂きました
一昨年、奈良県で
開催された「磯江毅展」を
ご覧になったということで
その感想と
1991年発刊の「月刊美術」誌
195号に掲載されている
磯江氏の文章を
紹介して下さったのです
こういったことは
大変ありがたく
この場にて改めて
御礼申し上げます
ご本人から了承を
頂きましたので
月刊美術の記事を
紹介しておきます
「リアリズムとは、
言うまでもなく
写実主義の事であり、
言うまでもなく
写実主義の事であり、
写実とは実を写すと書く。
そして実とは真実の
実であり、現実や果実の
実でもある。
実であり、現実や果実の
実でもある。
実とは、肉眼を通じて
精神に映し通した像を
言うのだろうか。
精神に映し通した像を
言うのだろうか。
見つめれば、見つめる程、物の存在が切実に移り、
超現実まで
見えてくる事がある。
そこまで実感し、
感動を起こす
見えてくる事がある。
そこまで実感し、
感動を起こす
精神の繊細さをもって
初めて実を写せるのでは
ないだろうか。
初めて実を写せるのでは
ないだろうか。
習い覚え、慣れ親しんだ
テクニックだけに頼って
テクニックだけに頼って
機械的に描かれた画面に、
実が宿るはずがない。」
実が宿るはずがない。」
「日常生活の中で
見慣れた物でも、
見れば見る程、
見慣れた物でも、
見れば見る程、
その本来の用途や
目的を忘れさせ、
目的を忘れさせ、
初めて接する物の様に
思えてくる事もある。
思えてくる事もある。
その時の視覚や感覚が
先入観や観念を追いはらい、
先入観や観念を追いはらい、
新たに個人的な関わりを
持ち始めてしまう
からかもしれない。
持ち始めてしまう
からかもしれない。
当たり前の物でも、
あえてこだわれば、もう当たり前でなくなってしまう。
そこで初めてリアリティに
あえてこだわれば、もう当たり前でなくなってしまう。
そこで初めてリアリティに
触れたと言えるのでは
ないだろうか。」
ないだろうか。」
14日に述べた私の戸惑いの
原因はここのところに
ありそうですね・・
ですが、手許にある
柿崎亨氏の絵は
磯江氏の絵ほど細密には
描かれていませんが
私はこちらの絵の方に
物の存在の本質を
感じるのです
それと同時に作家の
個性も感じる
磯江氏の絵には
物の本質というよりも
作家の本質が
濃密に込められている
と私には感じるのですが
なのに、作家の個性は
感じないのです
これは不思議な感覚です・・
このことを認識できたことは大きな収穫で
紹介頂いた磯江氏の
文章(言葉)を受けなければ
このことには気付かなかったかもしれません
絵というものは
ほんとうに不思議です・・
そして、そのことを言葉で
表現するということの
難しさ、もどかしさも
痛感するのです・・
そういうこともあり、
写実についてもう少し
知りたいので
野田弘志氏と
森本草介氏の画集を
注文したのでありました・・
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