以前紹介した
長谷川利行の絵に
大きな刺激を受けたとされる
中村正義の
DVD化され販売されている
ということを知り、早速
中村正義の美術館から
取り寄せた
この映画のBGMが素晴らしく
サウンド・トラック版CD
は何度聴いても飽きない
曲は作曲家でもある
チェリスト丸山朋文氏
中村正義の19歳のときの作品
タイトルは早春
1943年(昭和18年)
この空気感
透明で純粋な感性は
中村正義の個性とも言える
1946年(昭和21年)
戦後間もないときの作品
タイトルは斜陽(日本画)
第二回「日展」で初入選
その後日本画家
中村岳陵に師事
同じ年の日展に出品された
佐竹徳の油絵(洋画)
個人的にはこちらの方が
好きである
佐竹徳は中村正義よりも
27歳ほど年上
翌年1961年(昭和36年)
中村正義は36歳という若さで
日展(第三回新日展)の
審査員長に抜擢されるも
日展の裏側の
醜い面を知り幻滅
権威主義にも反発を覚え
日展はじめ師の画塾からも
脱退、無所属となる
この作品は無所属となった
翌年1962年に描かれた「花」
中村正義の作品は
これを機に大きく変貌
日展の権威主義に
反発するように
グロテスクな
作品が多く描かれた
それらの作品は私には
耐えられないので
ここでは紹介しませんが
中村正義の才能を認める
他分野の人々から依頼を
受けるようになり
1964年(昭和39年)
40歳のときに映画監督である
小林正樹氏から
映画「怪談」の美術を
依頼される
この絵は映画第三話
「耳無し芳一の話」の
ために描かれた
「源平海戦絵巻」
五部作の一つ
この波の描き方などは
数多い日本の描き方を
調べ尽くして独自のものを
創出した感がある
海戦の図
同じ年に描かれた水墨画
潚湘syousyou八景
明治から昭和にかけて
活躍した大家
横山大観の画題と描法を
踏襲したものとされている
翌年1965年に
第7回現代日本美術展に
出品された大作「爽爽」部分
画壇から遠ざかって以来
実験的な技法、描法を
追求していたが
当然、そのような作品は
絵画市場からは
受け入れられなかった
そのような状況のなか
突如、親しい友人に
「オレは贋札を作るペテン師になる」と宣言し
若い頃に描いていた描法で
いわゆる「売り絵」風の
作品を発表
最初の作品「雪景色」が
高値で取引され話題になり
個展の話が持ち上がり
数日で完売したという
一方で、このような
仏画も描いている
1972年48歳のときに
描かれた日本画「日月」
同じ年に描かれた「説法」
釈迦が弟子たちに
説法をしている様子
これは1962年
無所属になった翌年に
描かれた風景画
個人的に好きな絵
自然の石の模様
のようにも見える・・
セプタリアンという石
これもセプタリアン
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