匠家必用記 上巻四章の
読み下しを紹介しておきます
間違いなどありましたら
ご教示願います
四 番匠道具始の弁
俗説に天竺祇園精舎を造る時仏菩薩の手足変して鑿、錐、鉋と也、番匠の道具是より始ると云。又曰、天竺曼荼羅太子鍛冶をこのみ、始て
番匠の具を製(つく)る、是広目天の分身也と。又、番匠の道具はことごとく仏菩薩作り給ふ所にして、天より降ると云。又、一書に聖徳太子鍛冶をあらはし始て番匠の具を製り給ふ。故に諸職の元祖也。また曰、天竺摩訶鈮羅太子は大工の元祖也。鑿、鋸、は文殊師利菩薩、観世音菩薩の法門の身。釿は釈迦牟尼仏、羯摩の形。槌は金剛界顕天目の功。釘は不動明王邪正如の儀曲。尺は大日如来の徳と云。又、一説に聖徳太子始て曲尺を製り給ふと云。此外説々多し。今按るに右の説各用べからず。天竺の事は日本の事に非る故紙墨のつたへ論ずるに及ばずといへども、番匠の道具は天竺より渡りて日本に此始りなきやうにおもへるは甚愚の至也。忝(かたじけなく)も日本神代に天目一箇命と申奉る神ましまし始て諸の刃物を工(たく)み鋳(いだし)給ひ番匠の神にあたへ給ふ。
古語拾遺に曰、天目一箇命合わせて雑力(刀)、斧、鉄鐸(くさぐさのトシ、オノ、サナキをば木こつる木オノ、マサリ、ノミ、キリ、ノコギリ、カンナ、コガタナのたぐいをいう)を作る。神代の巻にも天目一箇命作金物為すといへり。此御神徳以て今、鍛冶の祖神と祭る。是神代より日本に番匠の道具あるの証拠也。神書を見て知るべし。然に番匠の道具はみな仏菩薩のつくり始給ふと云事は例の仏者が偽言。動(ややも)すれば天竺の事を引出して日本の事とし、人を惑するもの也。天竺国にて天竺の人が言ば有まじ。日本神国にては無用の沙汰也。又、番匠の道具は仏菩薩作にて天よりふるといふ説是又仏者の妄言なるべし。天に鍛冶はあらず、人の工也。待ちて後に成ものなれば、雨露霜雪のごとく天よりふるものにはあらず。又、曲尺は聖徳太子の製り始給ふといふ事しゃうし(正史)
じつろく(実録)に拠なり。尺の始りは神代のたか斗(たかばかり)より出て尺に写し今に相伝へ谷氏曰内外宮内裏の間架を定る皆俗名の曲尺にて極めたるものにはあらず。皆たかばかりより出たりと世俗木綿四尺を一尋す。これを手尋といふ。一端(たん)を二丈六尺、或は二丈八尺とするも此根元はみなタカバカリより出たり。曲尺その始め詳ならず。中古よりの製なるべし。うらの目は後人の作にてさんぼう(算法)のこうこうげん(勾股弦)を曲尺にうつしたるもの也。そうじて尺のちゃうたんは唐にほん相違有てやう(一様)ならず。或は自然と合するも有べし。近世高田玄柳曰、聖徳太子の時いこくの番匠曲尺を持来る。今大和国法隆寺の什物となりぬ。日本の曲尺に歩
半ほど長しと是を以て日本の曲尺と長短ある事を知るべし。此事を以て曲尺は聖徳太子の作り給ふとあやまるもの成べし。又聖徳太子鍛冶をあらわし始て番匠の道具を製り給ひし事、いまだ其拠をしらず。実に始て番匠の道具を作り給ふといはば是より已前の番匠は何を以ての家を造らん。是を以て番匠の道具は聖徳太子の造り給はざる事をすいりゃうすべし。又道具をあらわし給ふ故に諸職の元祖といふも仏者のもうけん(妄言)なるべし。諸職人元祖にして仰貴は聖徳太子は迷惑也べし。是俗にいふ贔屓の引倒也。一向其理にあたらずざれば、今番匠の家に伝へ来れる一巻有。此書を番匠の始りの證とし、其秘
蔵してみだりに他見をゆるさず、予(あらかじめ)是を見るに僧の述作とみへて、さまざまの偽言(たわごと)有。多は天竺事を挙て日本の事と混雑す。見る人其邪正を改るちからなく、これを実とおもうから日本番匠の始をもとり失ひ、或は番匠の道具も皆唐天竺より始と思ひ、或は天竺おもこくう(虚空)の事とおもへるは諒に大愚といふべし。早くあやまちを改、俗説をはいして正説を求べし。
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